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5つ星のうち 3.0
内乱の真っ最中に書かれた本,
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レビュー対象商品: 言論・出版の自由―アレオパジティカ 他一篇 (岩波文庫) (文庫)
「言論・出版の自由」検閲を批判した論文。検閲の起源とその発明者をローマ教皇とカトリック教会、異端審問所に求め、反教皇・反カトリックの一環として検閲制度を批判する。 論拠は大きく二点。 ・検閲の無意味・無効 大体普通の検閲官にアインシュタインみたいな人の書いたものを検閲できるわけがないし、書物を禁止しても口頭で広めることは出来る。だから検閲は 無意味無益だとする。 ・悪の知識の必要性 人はこの世に純潔のまま生まれてはこない。人を純化するのは試練であり、試練は敵対によってなされる。悪を知ることを拒否する徳は空白の徳であり、 表面だけの白。この世にあっては、悪を知り検証するのことは極めて必要。つまり、過ちの吟味と真理の確定になくてはならない。これらは、実際に 使われず鍛錬もされない逃避・隠遁の徳を称揚せず、分裂は真理のためによいことだと看做すミルトンの信条に由来している。 ただし、ミルトンの唱える言論・出版の自由とは、どこまで徹底するものなのか、というところが問題。この本が想定しているのは、あくまで(プロテス タンティズムに支えられた)真理と(カトリックや王制といった)政治的権力に対してということ。「真理は最後は勝利すると確信する」と彼が言うときの 「真理」とは何か?ということを問う必要がある。そういう意味でいうと、自分の意見に反対するものに対してどこまで許容するのか、というところの徹底 的なつめが甘い。例えばミルトンは、不敬で邪悪なものを認めてはならないとしているし、寛容を説いてもいるが、教皇制や迷信は根絶されなくてはなら ないとする。あくまで寛容なのは、どちらでもいい差異についてのみらしいので、自分達の意見にとってのみ都合のいい自由では?と突っ込みたくなる。 「自由共和国建設論」 1660年、まさに王政復古せんとする直前にかかれた論文で、王政に戻ろうとする人たちに、このまま共和制でいいではないかと説いたもの。キリスト教と 王政(および教皇も)は両立するものではなく、共和制こそが最良の政治制度であると断言するとともに、再び王政に戻ったらどういう事態になるかを的確 に予言している。 ミルトンが提示している望ましき政治体制とは、終身制(もしくは輪番交代制)の国家評議会と地方分権に支えられた共和制である。いわば選良終身制が望ま しいと(終身でなければ、なるべく任期は長いほうがいいと彼は述べる)。そして、議会はあくまで国民主権の代議であり預託されたもの、けっして委譲され てはならないと熱く説く。
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