第一部は文献研究を中心とした理論、第二部は臨床の逐語記録を中心とした実践についての二部構成。前半の解決志向の理論のみを展開していることが珍しく、かつ、ラカンやデリダがなんとなくわかるような気分を楽しめた。
言葉への推測と解釈を重ねても誤読を深める。言葉の意味づけは常に、暫定的であり、不安定である。後から後から規定されていく累積プロセスである。実はこの誤解が会話を成立させているとド・シェイザーは主張する。誤解しかしようがない不可知さのために会話を放棄するのではなく、むしろ瞬時に徹底的に相互に理解可能であればそれ以上の会話は必要ないと述べる。ここには、理解しあえるかもしれない可能性という、信仰にも似た希望、楽観性が暗黙の了解が働いている。
対話は臨床に役立つものでなければならない臨床家にとっては第二部の豊富な面接記録がマジカリーなものかもしれない。第一部は臨床家以外の言語学に興味を持つ人にとっても言葉のマジックに出会う面白さがあるかもしれない。「ことば」の深層を探らないというマジックだ。