割りと有名な、高文研の「観光コースでない〜」シリーズ韓国編である。ちょっと必要があって読んでみたのだが、出版当時に目を通したときとの印象の違いに、思わず考え込んでしまった。
初版1994年、新装版でも2000年の本であるから、そもそもの情報が古い(この当時からの韓国の変化には、実にダイナミックなものがある)のは、まあ仕方ない。しかし、「観光コースでない韓国」を追い求めていく先々がほぼ全て「日本による侵略史の現場」であるというのは、今となってはかえって視野狭窄に映る。
つまり、この本は基本的に「韓国の中に残る日本」を執拗に追い求めるという方針で貫かれている。それは、1990年代、「日本の戦争責任」が問われ、それが日韓関係の最重要課題であった時代には、違和感のないものであったかも知れない。しかし、いま改めて読み返してみると、それは「日韓関係史がわかれば韓国史がわかる」と言わんばかりの態度に見えてくる。「日本の侵略に翻弄され続けた韓国」という歴史イメージには、韓国の独自性・自律性を一顧だにしない態度に通じるものがあるわけで、そう考えてみるとこれはなかなか傲慢な態度と言えるのではないか。
一つ一つの訪問先がそれはそれで訪れるに値するものであることは間違いないのだが、「日本」をいったん脇に措いた上で眺める「韓国」にも、目を向ける必要があるだろう。
そうした意味で、この本自体がいまや「歴史的な存在」になってきているのかも知れない。