浄土真宗の親鸞聖人と曹洞宗の道元禅師…この二人の思想をベースとして、縦横無尽、融通無碍に仏教を語り合い、現代社会の問題点等にも触れているのが、この対談集の大きな特徴だろう。日本の仏教史において、親鸞聖人と道元禅師とは、極めて対照的な相反した生涯を送り、その考え方も、親鸞聖人は「信の一念で往生が決定(ケツジョウ)し、往生はそのまま悟りの世界に至る」という「信念往生」、道元禅師は「修行の結果として悟り(証)に達するのではなく、修行(座禅)そのものが悟り」という「修証一如(シュウショウイチニョ)」とされている(末木文美士『
日本仏教史』)。そういった「信」と「行」なる文脈で両者の思想性を弁別したのが和辻哲郎であろう(「沙門道元」1920~23年,『
日本精神史研究』所収)。
だが、当書でたびたび名の挙がる「近代日本最大の仏教者」(梅原猛氏)と称される鈴木大拙は、代表的名著『
日本的霊性)』(1944年)において、より根源的な観点から「日本的霊性」を深耕させた宗教として「禅」と「浄土系思想」を高く評価している。「霊性」というものを一言では説明し難いけれど、「精神の奥に潜在して居る〈はたらき〉」(角川ソフィア文庫版p.33)としておこう。大拙は「日本的霊性の情性的方面に顕現したのが浄土系的経験」であり、「知性方面に出頭したのが日本人生活の禅化」としているが(同p.39)、五木寛之さんも本書で、これをもって「日本に仏教が確実に根づいた」と述べている(p.109)。そして、一見対蹠的な親鸞聖人と道元禅師を結び付けるキーもまた、その点にあるといえよう。
つまり、「親鸞、道元に至って日本仏教というものが日本人の仏教」になり、「日本の思想になった」ということだ(p.54)。この五木さんの認識に、立松和平さんも「二人は仏教の革新者」とし、「鈴木大拙ふうに言えば日本的霊性を確立した、仏教を日本に根づかせた人、日本の仏教を築き上げた人」と全面的に同意している(p.281)。その他、五木さんの「法然、親鸞、蓮如という三人の浄土系思想家」を「やさしく、ふかく、ひろく」と表現したり、立松さんの北海道の知床における「毘沙門堂」の話など、話題は多岐にわたり、興味の尽きることがない対話であった。ただし、残念な事に、立松和平さんは2010年2月8日急逝され、09年3月から断続的に進められてきた対談は幕を閉じてしまった。実に惜しい…合掌