不勉強なもので、この本を読むまで知らなかった。イラク戦争時、日本国民は世界で例外的と
いっていいぐらいアメリカに好意的だったということを。そこには当時の首相があの戦争に賛
成の立場に立っていた、というバイアスも捨てきれないが、首相がどういおうと反米といった
ら反米という人がいてもおかしくないし(現に同じ調査においてイギリスではアメリカ不支持
が多数派)、当時トップが小泉でなかったとしてもブッシュ政権の政策には賛同したことが想像
でき、またそれが想像に難くないほど戦後60年を超えてもなお日本がアメリカの精神的属国で
あることを鑑みれば、その点はさして重要ではないのかもしれない。
本書は、世界的な趨勢として反米意識が存在するとともに、同時的に、世界でも例外的に親米
的でもある、という特異な日本の構造的問題にメスを入れる一種の日本文化論。
勘の良い人はすでに気づかれているかもしれないが、本書タイトルの「親米」と「反米」とは
つまり愛と憎と対応するものである(あっ、副題にたんと「無意識」ってあるわ)。筆者が論
ずるのはずばり、アメリカという「父」に対して日本という「子」が、「超えたい」「負かしたい」
という憎しみの意識とともに、文化的、社会的な同一化すべき理想として憧れをも抱いており、
そのアンビバレントに揺れ動いていた、という開国以来の日米関係史である。
国家などのマス的な状況を、社会学者が「俗流精神分析」で快刀乱麻に論じ挙げることについて、
批判的な意見も少なくない(ジジェクに依拠する大澤真幸しかり)。しかし、ときにマスはマス
として乱暴にでも取り扱わないかぎりブレークスルーできない場面も当然にある。冒頭で挙げた
奇妙なほどの親米意識は、そうでもしないと説明がつかない。
戦後復興期のマッカーサー元帥の奇妙なポジショニングなど興味深い論考が並ぶ、日本の「ア
メリカ受容史」。