わたしはこう思う。
わたしはこう感じる。
わたしは怒っている。
わたしはせっかちだ。
わたしは気前がよい。わたしはリベラル派だ。わたしは甘党だ、
わたしはわたしはわたしは・・
世界は「わたし」で満ち溢れている。
わたしは「わたし」に囲まれて生きている。
わたしが「わたし」と呼ぶ存在はいったいなんのだ?
わたしは自分の思考や感覚や感情が自分の存在の中核であり全てだと思ってきた。
生きて何かをすること、その内容が自分の存在の意義だと信じこんできた。
思えばわたしは「わたし」という名の牢獄を自慢する囚人だった。
わたしは常になにかでありそれ以外の何物でもない限定された不自由な存在だった。
この本を読んでわたしの牢獄の壁は崩壊した。
自分は自分らしくある必要などない。自分は何かである必要などない。
自分は自分の存在や価値を誇示するために叫ぶ必要などない。
全てはすでに究極体である。存在それ自体が約束された価値なのだ。
わたしが「わたし」を名のる以前。
エゴが壁を建設し始める以前。
一体わたしは何者だったのか?
意識の壁を超越した宇宙全体そのものだったはずだ。
幼少期、この世の全ての意識は調和し統一されていた。遠い昔のことで忘れてしまっていた。
わたしはわたしでいる必要がない。
わたしというエゴはどうせ壊れないのだから放置しておいてよい。
わたしが何かでなければわたしは全てである。
なんと自由で穏やかな世界なのだろう。
この文章を書くときわたしの中で顕示欲が発動している。「表現したい」と。それが見える。
そのエゴの周囲をひと回りできる。「なるほどこれはわたしだ」
もうエゴの奴隷ではない。
わたしはとても小さく、とくに何者でもない。たいした意味はない。
ただ宇宙になんとなくひろがる自由な意識である。それでよい。これこそが本当の自由だ。
著者にありがとうといいたい。