久しぶりに書評を書く気になった。
頼まれの書評は仲介者や相手方の顔もあるので冷たくするわけにはいかない。
が、対象の中身によっては実に気が進まないときがある。
だが、本書は違う。
村中明彦氏の「事例広告の方法」を読みつつ抱いた想い、
というか、読了する前には確信めいた想いがあった。
一言でいえば、それは「これこそ( 久々の )ビジネス書である」という想いだった。
以下に、本書がはからずも浮き彫りにしたメディア界の逼塞について注意喚起しつつ、
この「事例広告」が投射する広告の失速と転回の行方を素描してみたい。
市井にはいわゆるビジネス書が溢れている。
デフレ下、不景気が慢性化する中で、オカネを得ること、少しでも賢く立ち回って損をしないことは、
いつしか自覚できないほどに日常的な姿勢として根づいてしまった感じがする。
そういうこともあってか、損得をめぐる自己啓発書(含、ビジネス書)は次々と世にリリースされていった。
それらが現実に大売れしたかどうか、あるいは現実に寄与したかどうかはわからない。
私がそれらのビジネス書群に共通して感じたのはそういったことではなかった。
ありていにいえば、それらは結局「その本自身が売れるためのビジネス書」でしかなかった。
それらが、対価を投じてその果実を得ようとしたユーザー(読者)へのメリット以上に、
売れることと、それによる名前と評判による別個の「刈り取り」を企てた著者(&編集者)本位の
プロット商品に感じられてならなかったからである。
別言すれば、出版社にリスクとコストを転嫁して自身の本業集客と講演収入を追求する、
そういう輩こそ「ビジネス書の著者」であり、
それがまた露骨かつ大胆に散布されたのが「ビジネス書ブーム」ではなかったか。( 今もなお… )
だとすれば、だ。何かしなければいけない。このままではまずい。
そういうジリ貧ムードのサラリーマンたちは将来の自己実現にではなく
むしろその日その時の焦燥ややりきれなさを埋めるかのように
彼らの「ビジネス書」を買い、この「プロット」の罠に堕ちていったということになる。
そうやって、何を好転させ、活性化したかがほとんどみえないビジネス書が
できては消え、そして忘れられていった。
自分にとっての「効果」が自認できる前に、次のビジネス書がまた新たに
「目先を変えた」自己啓発節を耳もとでささやき始める。
それは欲望と挫折の輪廻のようでもあり、
あるいは欲望と挫折の産業と言えないこともない。
しかし、本書「事例広告の方法」は違った。
前述の悪しきビジネス書との対照で評するなら、
これは「読んだ人間に資するための本」である。
出版物が「対価を支払う人間に資する」など、
あまりに当り前の話ではある。
が、これこそが同書が稀少かつ有意な所以である。
私が「これこそ( 久々の )ビジネス書である」という想いを抱いたのはまさにそこだ。
村中明彦氏の「事例広告の方法」は(著者やその本業が「結果として」売れていくにしても)
まず第一に読んだ者の「ものが売れるために」こそ駆動される。
これぞまさしくビジネス書なのである。
同時に、われわれはこうも言える。
村中明彦氏の「事例広告の方法」のビジネス書ぶりをあざやかにしてみせたものこそ、
奇しくも広告失速という近年の惨状であった、と。
マス広告が体現した失速や欺瞞がメディア・ビジネスを暗澹たる闇へと突き落とした。
「事例広告」の閃光は、そんな中、いやがうえにも眩しく放たれてみえたのである。
少なくとも、しばらくの間は。
(本稿の詳細全文は拙稿[MATOLOG2]に2011年2月14日より順次公開中です。的場正信)
◆MATOLOG2 → http://blog.phmedia.co.jp/mlog2/