登録情報
|
私は西田の文章を初めて読んだが、定義も引用も事例も殆ど無いままに連続する対義語に面食らった。それでも論文には繰り返しが多いので、最初はとっつきにくくとも、先を読み進めていけば、前の論文で説明不足のところは、後の論文が大分補ってくれる。では、なぜまたそのような表現を選んだのかと言えば、それはこの老境の哲学者が、最晩年に差し掛かって「私の根本思想を明らかにした」がったためであろう。そこから逆に、この老境まで自らの世界への素朴な関わりを捨てずにいたこの著者の姿勢が理解される。
論理だけを追えば、それほど難しいことが言われている訳ではない。現在では主体と環境が相互作用する、と簡単に言われているが、その時間的なスパンを極小化していけば、環境が主体に表現されるのと同時的に、主体が環境を創出する状態が現出するはずである。これが未来と過去、多と一、事実と当為、超越と内在、作ると作られる等々の相矛盾した属性が、絶対否定を媒介として空間的に共在する場であり、それを「絶対矛盾の自己同一」と呼んでいる。この立場さえ確立されれば、西洋の対象論理の立場とは逆の場所的論理から、芸術も科学も宗教も同列に論じられると睨んでのことであった。
私は西田の歴史的意義については関心が薄いが、今現在から読んでも面白いと思ったのは、この論理が、オートポイエシスやアフォーダンスの現象学的記述として読み直せそうに思ったことである。とはいえ、この西田の論理世界を生き生きと実感的に感得できるか、と問われれば、そこには大いなる距離を感じたこともまた事実で、そこが本書の「難しい」所以であった。
|
|