”待望の「哲学史」、全4巻、ここにはじまる!”となれば、中央公論新社の「哲学の歴史」を途中で放り投げた評者としては手に取らざるを得ない。
第一巻の副題は”「ある」の衝撃からはじまる”である。パルメニデスの「ある」に関する思索がギリシャ哲学の起爆剤となり、そこから西洋哲学が始まったと説く第一章ではたしかに目から鱗が落ちた。
しかし、その後がいけない。とにかく難解である。「古代ギリシャの数学」はご愛嬌としても、「ハイデガーと前ソクラテス期の哲学者たち」の章で以下の文章に至り、自らの無知蒙昧はさて置き、講談社の宣伝に絡め取られた自分を発見した。
”そのために『存在と時間』では、存在了解一般が遂行される場としての「現存在」自身が、それ自体の再帰的構造にもとづいて自己反省的に自らの時間的構造を解明し、その時間性の構造変容から存在了解の多様性を示すという鮮やかな手法が取られたのである。”
ハイデガー学徒以外に上記の様な文章を理解できる人が日本に何人いるのだろうか。こういう哲学史を”待望’している人はどういう人なのだろうか。講談社は選書メチエではなく、学術文庫の方で出版すべきだったのではないのだろうか。とにかく本の内容はほとんど理解できないので、書評にもならないが、私の様な人をこれ以上出さないために、レビューを書きました。哲学に相当の学識があるならによいが、そうでなければ、Caveat emptor (買主注意せよ)です。