たいへんおもしろい本だ。ことば,特に日本語とその方言に関心を持つ方にお勧めしたい。
方言の本というと,アクセントや語彙の地域差が主に話題になることが多い。だが,この本では文法を中心に見ていく。文法というととっつきにくいイメージをお持ちの方が多いと思うが,この本は平易な記述で読者を言語学の最新の考え方にいざなう。言語学の基礎知識などは必要ない。
例えば,エヴィデンシャリティ(evidentiality, 証拠性)という文法範疇は,高校英語で見慣れた時制や主語などとは違って,この本で初めて目にする方も多いと思う。それはそのはずで,言語学の専門分野でも,この20年くらいで論じられ始めた「新しいトピック」なのだ。でも心配はご無用。エヴィデンシャリティとはどんな場合に,どんな意味を表す文法形式であり,日本の方言を具体例としてこの文はこういう場面で用いられるが,こっちの文はこういう場面で用いられる,という具合に,具体的にわかりやすく説明される。また,言語類型論という視点で,世界の言語を広く多角的に見ていき,その視点から日本語の標準語よりも方言の方に世界の言語に共通する普遍性が見出されることを(いろいろな文法の領域で)提示しようと試みている。それはほぼ成功している。エヴィデンシャリティのような「業界」でも新しい概念が,平易な日本語(母語!)で,しかも,破格の値段で手にとって読める日本の出版業界に,心から感謝したいと思う。
僕はおととし神奈川から兵庫に越してきたのだが,「いてる」と「おる」の区別がわからなくて何だろう?と思ったことがあった。「いてる」の「い」が「いる」の「い」で,「てる」が「食べてる」の「てる」だとしたら,神奈川ではありえない形だからだ。でもテレビ番組などで笑福亭鶴瓶などが連呼しているので,その形は知ってはいた。それでも意味の違いがなにかあるだろうと思い,京阪神出身の方にいろいろ質問してまわったが,いまひとつ違いがわからない。でも,この本には意外とあっさりと「正解」が書いてあった。
うちの長男(7歳),長女(5歳)は今のところ「いてる」は使っていない。「誰々がいる」という場合でも「いてる」ではなく「おる」を使っているみたいだ。今後いつになったら「いてる」を使い始めるのか,注目している。そんな「日常のことばへの関心」を持つきっかけにもなり,楽しめる一冊だと思う。
この本で「方言の文法」に興味を持たれた方は,佐々木冠ほか(2006)『方言の文法』(岩波書店)がおもしろいが,やや敷居が高い。古本市場での入手ということになるが,『日本語学』(2005年12月号,特集「方言の文法」,明治書院)か,『月刊言語』(2006年12月号,特集「地図に見る方言文法」,大修館書店)が一般読者向けに平易に書かれていて,なおかつ,おもしろい。
[2009年2月28日 23時41分 執筆]