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最後の短編が哀しい。どちらの人物が書いているのかが曖昧であり、もしかしたら読者に対する罠かもしれないけれど、でもある種のタネあかしであるようにも思える。しかしどちらが書いていたとしても、それは暗号のようなラブレターだ。人と人とは性を介在せずにどこまで分かりあえるのだろう? 性的に他人とかかわりあうことをやめたその先、どのような(友人)関係を作ることが可能なのだろうか? ラブレター(のようなもの)を書いている人物は性の介在しない人間関係を信じているようだが。
タイトルが「裏ヴァージョン」であることを思うと、松浦理英子が今までの小説で一貫して語ってきた性の哀しみのようなものの解説的な作品になっているような気もする。それは「性のマイノリティ」だけではなく、他人にどう非難されようが、慰められようが、どうして正常に戻ることのできない自分と世界とのズレ、自分と自分とのズレ、そこから生じる挫折感、喪失感についてなのではないだろうか。それ語る視線が冷静なものであるからこそ、哀しみはさらに引き立つ。
小説の中で弱者の夢想するユートピアは必ず「いつか」のことである。現実では決して訪れることのない「いつか」。現実では居場所を限られる、或は居場所などはなから提供されないマイノリティの見る夢を、まるで私自身の哀しみであるかのように、この小説の中で見たように思う。
今までの、純粋率直な文体でちょっと夢見がちな物語を語っていた手法を「子供」とすれば、まさに「大人」の仕上がりだと言ってもいい。幻想から醒めた人間、現実に直面し夢を見られなくなった大人は、いったい何を目指せばいいのか?その葛藤と発奮がひねくれた構成からひりひりと伝わってくる。ひりひりとして、それでも、たまらなく魅力的に思われる。
SとMという関係、作者と読者という関係、女と女という関係
あらゆる関係の理想と現実。過去と今。
すべてを超越し、さらに次の関係を目指して、作者は新たなスタートを切ったのだ。
この作品がおそらく松浦理英子文学のターニングポイントになるだろうと思う。
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