当たり前過ぎる感想しか思い浮かばないのだが、自分が当事者だったらと薄ら寒いものを感じてしまった。
裁判員制度の実施が近づいてきたこともあってか、裁判をネタにした本が結構出版されている。傍聴マニアが書く笑いを含んだものも多い。自身が当事者になる経験をしたか、余程真面目な人でもない限り、こういった作品を野次馬的興味で楽しんでしまうのはある意味当然だと思う。私もそうだ。
しかし、当事者でなくとも暗澹たる思いにさせられる本書のような作品を読んでしまうと、やっぱり自分は間違っているのだろうかと自問自答してしまう。ここに紹介(告発)された事件の中には、まだ記憶の中に残っていたもの、読むことであらためて記憶が甦ったものも多かった。
本書を読むと「裁判のプロ」の常識は「裁判の素人」の非常識になり得ることが理解できる。それと同時に「人権派」弁護士と称される一部の人たちの非常識も理解できる。
しかし、事件そのものや裁判の経過を詳細に追ったのではなく、裁判官の判決と判決理由に焦点を絞った作品なので事件の全容は理解しにくい。また、事件を担当した裁判官達が、判決文が全てであることを理由に取材を拒否(よく考えるまでもなくこれは当然だと思うが)していることもあり、結果的に証言者はその判決によって不利益を受けた人物に偏っていることから、作品全体が裁判官に対する糾弾の場になり事件の見方が一面的になっている。
それ加えて筆者の文章も糾弾調である。事件関係者の怒りはそのまま記させるべきだとは思うが。筆者の主張まで怒りを顕わにした文章で書き綴ってしまうのはどうかと思う。このような大きな問題を扱うからこそ、より冷静な筆致が求められるのではなかろうか。