以前に『
街場の中国論』を読んで面白かったので、遅まきながら、気になっていた本書を読んでみた。面白いことは面白い。
ただし、「どんな偉い人が言ったことでもそれは『真実』ではありません。(中略)この本の中で私が『その原因は……』と言い出したら(何度でもやりますよ)、すぐに眉につばをつけてくださいね」(p35)と自分で書くのは、p166から触れられているダブル・バインド的コミュニケーションの一種でズルイと思う。あるいは、「さあ皆さん、タネも仕掛けもありますよ。見抜けますか?」みたいな、奇術を観る楽しみにも似てる。口上自体、読者を判断停止に追い込むフェイントの可能性もある。
『中国論』もそうだったけど、やはり精神分析的な手法で国家や社会を扱うってのは、かなり危うい感じがする。見やすいところで言えば、「アメリカ人の肥満」を論じた件り。ウチダ先生はこれを「わかりやすい記号表現」を用いた低所得層の「階級的怒りの表明」だと言うんだけど(p201)、う〜ん。「階級」なんて用語を持ち出すわりにはエンターテインメントとして消費するしかないような議論で、『
デブの帝国』とか『
ルポ 貧困大国アメリカ』とかの分析の方にやっぱり軍配を上げたい。
それから最近『
橋本治と内田樹』という対談本が出てて(ただし未読)、確かに内田の論の振り回し方って時にすご〜くハシモト的。たとえばp115辺りの文章の展開って、ハシモトっぽくありません?
あと、p61で「プリゴジーヌの『バタフライ効果』」について薀蓄垂れてますが、「バタフライ効果」ってローレンツでしょ? ま、混同する気持ちは分かるけど。