本書を読むと、梅棹忠夫という人物が京都の裕福な大店の長男として何不自由なく育った金持ちの息子だったことが分かる。「苦学生」のイメージばかりが喧伝されているが、旧制中学から旧制高校へと進学できたのは戦前では全人口の1%程度で、よほど余裕のある家庭でない限り、子供を旧制高校から帝国大学へと進ませることなんか、そもそも出来なかった。「女に学問なんかいらない」とはよく聞く話だが、「男にだって学問はいらない」と多くの日本人が考えていたのである(学問なんかさせる余裕なんかなかった)。
さて、その梅棹だが、旧制京都府立一中を秀才の誉れ高い四年修了で旧制第三高等学校へと進学している。進学すると梅棹は学業をほおり出し、登山、探検に明け暮れるようになる。明け暮れすぎて、2年連続して三高を留年し退学処分になってしまう。ところが、梅棹の人格を慕う後輩や同級生から助命嘆願運動が起き、高校2年生で登山部のプレジデントになっていることが幸いして復学を許される。復学すると真面目に授業を受けた梅棹は、あっさり三高を卒業し、京都帝国大学に進学する。このあたり、梅棹は秀才なんか秀才でないのか、あるいはこれらの通念を超越した大天才なのか、判別をしかねるところである。
梅棹が世に出た「文明の生態史観」。この本の略歴には、梅棹は大阪市大助教授とあった。これが実は閑職もいいところだったようで、授業を疎い、大学を無視して好き勝手なことばかりしていた梅棹は、大阪市大では万年助教授扱いだったようだ。大阪市大といえば、旧制大阪高等商業でサラリーマンの士官学校であるが、純粋な学問を志向せず、サラリーマンになる為の「役に立つ実学」を志向する学生たちと梅棹は最後までそりが合わなかったようだ。
梅棹には二人の子供がいる。エリオとマヤオだ。男2人だが、二人ともカタカナの名前で、これには理由がある。梅棹は「漢字は文明の発達を阻害する軛である」という硬い信念を持っており、漢字を日本語から追放し、日本語のローマ字化を提唱しているのである。この梅棹の主張と、子供の名前がカタカナであることはストレートに結びついているはずだ。
あと、梅棹は晩年中国に旅行して悪性のウイルスに感染し失明している。中国には何があるか分からない。食べ物は鉛で汚染され毒餃子が出回り、捨てたはずの油をドブから回収して安い価格で食用油として売っている国である。私は生涯中国大陸には足を踏み入れないつもりだったが、梅棹の失明を知って、ますますその思いを強くした。