(ネタバレに注意してお読み下さい)
優れた芸術作品や思想がしばしばそうであるように、この映画は、見る人すべてに何らかの強い衝撃を与え、かつそれぞれの個人史や環境の違いによって様々な解釈を許す作品です。あなたが在日コリアンであるか否か(そして本籍はどこか)、あなたは大阪に住んでいるか否か、あなたは女性であるか男性であるか、あなたの年齢はどれほどか、あなたは政治や歴史に関心があるか・・等々。
たとえば、ある一定の年齢以上の、大阪に在住する在日コリアン(特に本籍地が済州道である人)にとっては、この映画は(一部の誇張部分を除いて)ごく日常的であったような出来事が次々と描写される作品でしょう。
しかし一方で、この映画に描かれている出来事の背景についてまったく無知な人がいきなりこれを見ると、「暴力シーン」と「セックスシーン」が続出するだけの「訳のわからない」映画と写るかもしれません。そういう人でさえ、これを一種の「身体論」の映画と見ることも可能かもしれませんが、もうそれだけで、それ以上の「解釈」をあきらめてしまう人もいるでしょう。
ともあれ、この映画の背景をもう少し掘り下げて「鑑賞」したい人には『映画「血と骨」の世界』(新幹社)を同時に読んでおくことを強く推奨します。amazonnでも購入できます。
以下、何人かの評者が表明している、この映画への「疑問点」や一部の人にしか分からないディテイルについて若干のコメントをしておきます。
●「ビートたけしの大阪弁がへんてこりん」→これはまったくおかしな指摘です。というのも、あの年代の「在日一世」が話す日本語はしばしば朝鮮語の影響を強く残しており、いわゆるバリバリの大阪弁ではなかったことが多いのです。むしろ、たけしの大阪弁はリアリティがあるとさえいえるでしょう。
●「主人公たちが暴力シーンで用いる棍棒などがへなへなしている」→これは残念ながらその通りです。あれでは実際に殴られても骨まで砕くことはできそうにありませんね。演出のミスというか妥協なのでしょう。
●金俊平は一種の「健康食材マニア」です。自分の体力維持にものすごいエネルギーを使っています。特にあの、豚の肉を腐らせてそれを精力剤として常食しているというシーンは、なかなか面白いのですが、あれではいずれ食中毒を起こすでしょう。しかし、生まれたての「蛆」というのは案外清潔でもあるので、あの手の「精力食」があっても不思議ではないかもしれません。
●かつてかまぼこ職人であった男(吉男)がヤクザの親分となり、半身不随となった金俊平が吉男にビジネスの話を持っていくシーン。会見の場所はキャバレーなのですが、テーブルに運ばれてきた料理は明らかに大阪『自由軒』のドライカレーです。このディテイルへの目配りに感心してしまいました。
●主要な登場人物たちに朝鮮語を話させるという演出はそれだけでリアリティが倍増し大きな効果を出しています。ただしそのほとんどは「済州島訛り」の朝鮮語のようです。
●「金俊平が戦争中にどこで何をしていたのかが分からない」→これは監督が敢えて明示していない部分です。素直に類推すると、金俊平はこの間に、おそらくは大日本帝国に吸収されてしまった朝鮮人としてのプライドを大いに傷つけられるという体験をしたものと考えられます。映画における彼の最後の行動がこの推測を裏付けます。
●「金俊平が北朝鮮に莫大な寄付をして『帰国』してしまう理由がわからない」→金俊平はいわゆるコミュニストではありません。結局かれは日本という国に自分の居場所はないと長年感じていたはずで、この行動は特別に突飛なものではありません。