小島では規則を作り理性的でなければならなかった。その権威の象徴は「ほら貝」である。人間の奥に潜む、この場合は子供の無邪気・無垢(イノセント)に潜む悪なる部分は「蝿の王」である。「ほら貝」と「蝿の王」は対の関係にあると言えるのではないだろうか。
ほら貝の権威が守られている間、少年たちの関係はそこそこ平和的であった。しかし時が経ち、その権威は薄れていく。内なる悪である「蝿の王」が理性を蝕んでいるのだ。
サイモンは薄々獣とは何か理解している。
「ぼくには分からないよ」「ぼくがいおうとしたのは・・・・・たぶん、獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれないということだ」「世界で一番汚いものはなんだか知っているか?」これらの言葉は胸に刺さる。しかし彼らがサイモンに耳を傾けることはない。
蝿の王はサイモンに語りかける。ここが極めて重要な部分だと思う。
「お前はそのことは知ってたのじゃないのか? わたしはお前達の一部なんだよ。お前たちのずっと奥の方にいるんだよ? どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」
サイモンは知的・理性的な感じでは描かれていない。彼は本当の意味で純粋なのだろう。純粋であることは内なる悪を抑えつけることではなく、悪をも相対化するのではないだろうか。だからサイモンは蝿の王と対話ができる。
ほとんどの人間は理性で内なる悪を抑えつけている。つまりそこには対話はなく、一方的な抑えつけであり、その内なる悪から目を背けているだけだ。その点においてラーフもジャックも同じのではないか。私には単にジャックが悪い人間だというのは軽率すぎると思う。真に著者が言いたいのは、みな内なる悪があることである。