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本書を読んで真っ先に抱いた思いは、警察にしろマスコミにしろ、なぜ明らかな嘘を平気で言ったり書いたりするのかということだった。明らかな捏造を冒してまでやる理由とは何か。デマを流して世間に波風立たせることにこの上なく塊??感を覚える人間か、あるいは組織防衛のためになりふり構わぬ行動に出る人間でなければ、ここまでふざけた嘘をつけるはずがない。そしてどうやら答えは後者の方にありそうなのである。このような嘘が平気で出てくることには、組織が及ぼす心理的圧力、集団心理が密接に関わっていると考えざるを得ない。
遺族は警察のなりふり構わぬ保身行為と人格攻撃、さらには野次馬的なマスコミによる報道被害にも屈せず、裁判を戦い続けた。この事件は良心的なマスコミが大々的に報じたこともあって国会でも取り上げられ、事件からおよそ1年後に「ストーカー行為等の規制に関する法律」、いわゆる「ストーカー規制法」が成立した。
権力、とりわけ国家権力と対立する立場に置かれた時、人はいかにして戦えるのかが!!ここにははっきりと示されている。また逆に、組織内にいて、好むと好まざるとに関わらず組織防衛に携わることになった時、人はいかに信じられないような行為に及ぶかということの格好の事例がここにはある。
本書は読者に、果たして自分は猪野詩織さんの遺族のように、権力と戦い続ける覚悟とタフネスを持っていられるだろうかと、強く問い詰めさせる。被害者の父・憲一さんは、国家権力に立ち向かう心境を、「巨大な戦艦に立ち向かう紙飛行機のような気分」(188頁)と表現した。読者はこの心境を鮮明に理解するだけの想像力を要求される。被害者の母・京子さんの「被害者は可哀想だけど、みじめではない」(229頁)という言葉に、昨今では珍しく限界状況下における人間の尊厳を見る思いがした。
頭にきて読めないのである。ページをめくるごとに腹が立つ。
同じ女性として彼女の死後に受けた二次被害も含め、警察に腹が立ってしょうがない。
正義とは何なのか。警察とは何なのか。憤りを感じる。
清水潔著の本を読んだときもそうだった。
最近警察はもっとも封建的な組織で構成されている会社で、警察官は保身しか考えられない会社員と同じだと感じることがある。
私の近所の交番のお巡りさんはいい人だ。
でも、彼等も私が同じような目にあったら平気で事実を歪曲するかもしれない。
ずっと娘の名誉の為に闘っている夫妻を応援している。
そして、1月29日ひまわりの花が咲くことを心から願わずにはいられない。
裁判でも証拠捏造こそしていないようだが、都合の良い証拠は提出し、都合の悪いものは隠すという体質にはあきれたというほかはない。
マスコミの報道の仕方にも考えさせられる事が多い。
マスコミは「民事裁判で実質的に原告の主張が認められた」とは報じても「賠償金の受け取りは望めない」ことまでは説明してくれない。
被害者同士の間でも笑えないエピソードが話題になるそうだ。
たとえ裕福な人でも、被害者になり賠償金を受け取ると、周囲の無理解から自由に買い物できなくなるという。
「だから一時金の入る前に、当面必要な物は買い溜めておいたほうがいい」と
アドバイスされたという。
本書には詩織さんの告訴状も掲載されている。
始め母親の京子さんは告訴状の掲載には反対だったという。
父親の憲一さんが説き伏せた。「けっして娘を晒し者にするわけではない。これが愛する詩織の正当の証だ」
詩織さんの死を憲一さんは「ひまわりの種」と呼ぶ。いつの日か種が芽をふき大輪の花が咲く事を祈る。