虚空遍歴は、山本周五郎の長編では「樅ノ木は残った」「ながい坂」と並ぶ3大長編に数えられています。これら3つの中では文芸として最も厳しい作品だと思いました。主人公の中藤冲也は、端唄の作者として市井において評価を得ていたにもかかわらず、浄瑠璃の創作に足を踏み入れていきます。例えるなら、大衆歌謡の作曲家がオペラのような音楽舞台劇に取り組むようなものでしょうか。しかし、冲也にとっては、つらいいばらの路を歩くことになります。この下巻に至っては、上方から北陸への道行きは苦闘の連続で、読んでいても辛くなってきます。小説は、この冲也の生き方を三人称でたどる一方、おけいという随伴者の独白という一人称の部分を挿入して進められます。このおけいという女性の語りから読み手は主人公の心情に手を伸ばすことができ、おけいと同じ感情を主人公に合わせることもできるわけです。この構成が読み手から作品をつなぎ止めていきます。おけいの存在は主人公以上に重要な位置を占めているように思います。周五郎文学畢生の作品と思いました。
芸術にかぎらず、結果がすべての昨今。結果を残せなかった冲也は、いまなら「負け組」と言われるのでしょうか。おけい以外の誰からも理解されず、作品の完成も見なかったその生き方は、今の読者の心にどのような読後感を残すのでしょうか。