この『蘇我氏の正体』(文庫版,2009年)は、『
藤原氏の正体』(同,08年)と『
物部氏の正体』(同,10年)を加えた“三部作”の2番目に当たる作品である。先ず、『藤原氏の正体』において、著者の関裕二氏は、「大化改新」の“立役者”であり、「藤原氏」の祖といえる中臣鎌足の“正体”を、当時、来日していた百済王(王子)豊璋(余豊・余豊璋)その人ではないか、あるいは「大化改新」という“行政改革”の真の推進者は蘇我氏ではなかったか、などの推断を示している。そこで当書を読み通した中において、「渡来人」の末裔とされている藤原氏と蘇我氏との関連及び「アメノヒボコ」の解釈について卑見を述べてみたい。
本書では、蘇我氏の祖を「武内宿禰=天日槍(アメノヒボコ)」と推定している。そして、この「天日槍」なる人物は、倭人(日本人)でありながら新羅(辰韓)王となった脱解(ダツカイ)の子孫となっている。詳細は省略せざるを得ないが、だとしても『日本書紀』で蘇我氏を「渡来人」として“批難”することは可能であったはずだ。現に、“国籍”が「邪馬台国」を支配しようとした天日槍のネックとなっており、それが卑弥呼亡き後の「邪馬台国」の動乱の原因ともなった訳だから…。むしろ、“百済系王族”鎌足の子である藤原不比等主導で編纂された『日本書紀』故に、微妙な「国籍問題」には敢えて触れなかった、とも考えられよう。
次に、当著では天日槍を“特定の個人”として扱っているのだが、『物部氏の正体』においては、「アメノヒボコは、「鉄を求めて日本から朝鮮半島に渡り、金属冶金の技術を携えてもどった人びと」の象徴だったと考えられる」、つまり「アメノヒボコは、このような「日本から渡って、ふたたび日本にもどってきた製鉄の民」であり、だからこそ、「日本的な金属冶金の神」の名を与えられた」と略説している。この辺り、アメノヒボコ(天日槍)の位置付けにやや整合を欠いているのではないか、と私は考える。そういった点はさておき、正史=日本書紀等によって歪曲、隠蔽された氏族の解明が今後とも必要なのは言うまでもない。