映画は、ジャン=ジャック・アノー監督で1986年9月24日にリリースされている。ご存じの方も多いと思うが『バスカヴィル』のウイリアムをショーン・コネリーが演じている。頭の中のイメージとピッタリだ。
それ以外のキャストも充実している。弟子アドソには若き日のクリスチャン・スレーター。異端者サルヴァトーレには実際は身長が190cm近い怪優ロン・パールマン。盲目の師ブルコスのホルヘにはロシアの俳優フェオドール・シャリアピン・ジュニア(この人のお父さんであるフェオドール・シャリアピンはバスの有名なオペラ俳優だ)。ウイリアムと敵対する異端審問官ベルナール・ギーにはF・マーリー・エイブラハム(この人はご存じの方も多いだろうが、『アマデウス』での音楽家アントニオ・サリエリ役で、アカデミー主演男優賞を獲得(1984年)した直後の出演だ)。そしてこのストーリー全体の鍵を握る農民の少女にはチリの女優ヴァレンティナ・ヴァルガスと、凝りに凝った布陣である。
そして実際に観だすと頭の中に構築されていた『薔薇の名前』の世界が見事に映像となっているのに嬉しくなった。特に興味深く観たのが迷宮図書館だ。ここをどう表現するかは原著を読んだ誰しもが思うことではないだろうか。
さらに感心したのが原作とのラストの違いである。見事な脚色で、恐れを知らずに言わせてもらえれば映画のラストは原作のラストを凌いでいる気がする。あるいはキリストの慈愛に満ちている・・・・そう思う。
松岡正剛氏はこの映画について『おおざっぱな物語はショーン・コネリー主演によるジャン・ジャック・アノーのよく練れた映画にもなった』と書いているがいかがなものだろう。このすばらしい映像を『おおざっぱな物語』などと言うのはこの映画を愚弄しているとしか思えない。文字の集合体で構築された物語を、三次元化し、映像化し、観るものを満足させることがいかに容易ならざることか理解していないと思える。
もう一度書くが、映画『薔薇の名前』のラストは原作のラストを凌いでいる。ただワーナーのDVD化において、ラストの「以前の薔薇は名に留まり、私たちは裸の名を手にする(stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.)」が無くなってしまったり、名訳が迷訳になってしまったりしているのは残念だとぼくも思う。