「父・萩原朔太郎」を読んで、「蕁麻の家」を読みましたが、あくまでも興味は<朔太郎>にあったのです。朔太郎の家庭・家族がどのようなものであったのか、あれらの詩がどのようにして生まれたのかが知りたかったのです。「父・萩原朔太郎」は表題の通り朔太郎の思い出が中心で、実生活者としては実に頼りにならない父親像が描かれていて興味深かったのですが、この「蕁麻の家」は、浮気をして夫と子どもを捨てて出て行った妻の残していった長女(作者)と、高熱を出して寝込んでいたのに放っておかれたために脳に障害が残ってしまった次女とが、一家を支配する祖母からいかに迫害されて育ったかということを綴った「第一部 蕁麻の家」、戦時下に職場の同僚とお茶だけの結婚式を挙げ、新しい家庭を持ったものの味気なく貧しい生活を続け、戦後に子どもが出来たのについに夫を追い出す形で離婚してしまう「第二部 閉ざされた庭」、離婚後朔太郎の思い出を書くように勧められて書き始めた文章が認められて作家として生活するようになり、自分を捨てた母親を引き取り、障害を持つ妹とも一緒に暮らしながら、ダンスを生きがいとして生きてゆくようになった「第三部 輪廻の暦」という三部から構成されています。この三部が書かれるのに二十余年という時間が流れています。
作中、主人公は取材に答えて、「これだけは書かなくては死ねないという強い思いがあったので、遺言のつもりで書きました」と言っています。この物語を読む人は多分実話的な興味から読む人が多いと思うのですが、問題はどこまでが事実で、どこが虚構なのかということです。巻末の作者の年譜を読むと、物語の中の出来事に対応した形で作者の生活史的な内容が書かれているので、うっかりすると書物の内容が事実そのままの出来事だとも思ってしまうのですが、あくまでもこれは作者の目から見た真実ということなのだと思います。作者自身、書いたものを批判された時に、フィクションというものが分からない人だと反論しています。
第三部を書いた後に「歳月―父・朔太郎への手紙」を書き、その中で「悲劇の根元は、お父さまのふし穴の眼の故(せい)でした」と朔太郎を糾弾する作者ですが、朔太郎の娘として生まれた悲劇の生涯を書き抜いた、稀有の一冊といえるでしょう。読み始めると最後まで一気に読んで飽きさせない筆力があり、作家としての技量を証明する一冊ともなっています。