流石に時代の差がどうにもならず、シリアスに書いているつもりが、読むほうは笑ってしまうしかない、という作者には予想外の結果を生むことになっている。ただ決して馬鹿にしているのではなく、なんとなくかわいらしいというか、そんな感じだ。同じ頃、漱石の「三四郎」、鴎外の「青年」にしても、話の展開が下手なところはあると思うし、後の「暗夜行路」の冒頭の会話なんか、こそばゆいぐらい恥ずかしいから花袋だけではなく、時代的な制約だろう。「小説」を読めるようにするのは本当に大変だったのだなあと思う。でも、本書は、ひときは、笑ってしまう要素が多いのだ。著者の心根の良さから来るのか。どことなく滑稽で暢気な感じが良い。「小っ恥ずかしい」という恥ずかしさが漂うほどに、「正直」に心の中を吐露する。situationが恥ずかしい上に、そこにはまったように恥ずかしいことを吐露している作者のその文章に、つい、笑ってしまう。弟子の女にその気を持ってしまうが、冒険出来ずにいる自分をごまかしながら「先生」らしくしているうちに「彼氏」を作られ、苦悶して自棄酒を飲んで女房に当り散らしたり、こんなんだったら手篭めにすればよかった、と後になって考えたり、女弟子を実父に押し付け帰郷させる前日になって、性懲りもなく、捨てた気になってもう一度自分に預けてみないか、などと弟子の父に言う辺り、もう、勘弁してくれ、と言いたくなるぐらい恥ずかしくも楽しくなってしまう。書き方にしても、全然3年掛けの話には思えないところがびっくり。でも、文学史上は自然派の代表作とのことで、以降「内面」の吐露を軸にする私小説の元祖のような地位を占めているように思える。著者の人柄の良さみたいなのが伝わってきて、この人柄ゆえに、荷風、鴎外らに、学が無い、頭が良くない、などとどこか馬鹿にされていたらしいが、自分にとっては憎めない作家。「東京の三十年」もお勧めの「名作」。