本書は、島田裕巳著『葬式は、要らない』とよく比較される。そして、島田本が豊富なデータに基づいて日本の葬式費用が世界一高いことを例証しているのに対して、一条本(本書)は全体として情緒的に書かれているとの批判も見かける。しかし現在では、島田本のデータには多くの数字のトリックが使われていることで有名。例えば、島田本では、「日本の葬儀費用は世界一高い」などとセンセーショナルに謳っており、本の帯にもそのことが書かれている。日本の葬儀費用は平均231万円で、韓国は37万円、アメリカが44万円などと比較。しかし、この数字には大きな問題がある。
日本のデータは2007年(平成19年)のもの。一方、韓国やアメリカは1994年(平成6年)のもの。なんと、それらのデータには13年もの開きがあるのである。しかも、この10年間で、韓国は葬祭会館の建設ラッシュで葬儀費用は飛躍的に高騰しているのだ。さらに、島田本の国際比較には大きなトリックがある。日本の葬儀には香典という習慣がある。香典を参列者からいただいた結果、喪家は飲食をふるまったり、香典返しとしての返礼品を用意する。しかし、この比較においては、香典収入は一切カウントせず、逆に飲食代や返礼品代は支出費用としてしっかりカウントしているのである。これは明らかに不正な費用算出であり、数字のトリックと言われても仕方ないだろう。そして、香典などの収入を引いた日本の葬儀費用における自己負担は、100万円前後とされている。つまり、日本の葬儀費用はけっして高くない。ましてや世界一高いなどとは笑止千万。このような小細工こそ姑息で卑怯ではないだろうか。
しかし、本書の著者・一条氏はおそらくはそのことを知っていながら、あえて本書の中では触れなかった。なぜなら、本書にも書いてあるように、葬儀とは「お金」の問題ではなく「こころ」の問題であるからだ。「こころ」の問題を語るときに情緒的に書くのは当然ではないだろうか。何よりも、本書の最大の功績は島田本の刊行からすぐに出版したというスピードだろう。それにより、読者には「葬式不要」か「葬式必要」かという選択肢が与えられた。
なお、著者はけっして論理的な文章が書けない人ではない。『ハートフル・ソサエティ』『世界をつくった八大聖人』『法則の法則』などを読めば、そのことがよくわかる。「書けない」のではなく、本書ではあえて「書かなかった」のだ。それは、わかりやすさを目指したと同時に、単なる学者や評論家ではないという実践者としての著者の矜持かもしれない。帯にもあるように「最期の儀式に迷う日本人のために」という高い志が本書にはあると思う。