この著「落葉隻語 ことばのかたみ」は、免疫学者多田富雄氏が、未来をになう人に向けた「かたみ分け」のようなエッセイ集である。
脳梗塞で倒れた2001年から2010年逝去されるまでの氏の9年間は、病魔のみならず社会矛盾との闘い(診療報酬改定撤回運動)そのものだった。それでも氏は、けっして人間社会や人生に絶望することはなかった。多田先生の心の中には、人間社会に対する根源的な信頼感のようなものが常にあった。
「落葉隻語」の24章に「終わりから始まる未来」というエッセイがある。この中に、多田氏が遺言のように語ったという「寛容の世界」を偲ばせる下りがある。
『「終わり」というのは、必ず何かが始まる、私の家でも、昨年は双子の孫が生まれた。ふっくらとした赤子のほっぺたをつつくと、あどけない微笑で応える。
「そうなんだよ、じいじの世代はお前たちに大きな負の遺産を残した。すまなかったが、強く平和に生きておくれ」と語りかけたい気がする。同時にこの子が大人になるころ、この地球は大丈夫だろうか、目を瞑って想像してみた。私のいなくなった世界を思った。
すると、不思議にも子供の走り回っている情景が目に浮かんだ。(中略)私は長い時間その世界を想像し、これが私の死後の世界だと確信した。それ以外の情景は浮かばなかった。これからだってもっと生きにくい時代が続くだろう。でもあんな子供がいる限り、未来は大丈夫だろう。私は幸福な気持ちで、白昼夢の最後のページを閉じた。
去年今年貫く棒の如きもの 虚子
力強い時間の連続性を信じて生きようと思った。』(「落葉隻語」97頁−98頁)
多田氏は、己の最後の境地について、高浜虚子の句を引き「貫く棒の如きもの」とシンプルに語った。人間社会には人間の背骨の如き太い骨が貫いているという思考は卓見だ。多田富雄氏が最後に夢想した「子どもたちが平和のうちに生きる未来の情景」が現実になるよう、私たちも、日々の努力を積み重ねて行こう・・・。