T.S.エリオットの初期の詩の日本語訳に詳細な注釈と解説をつけたもの。正直、なぜ今頃エリオットの訳を文庫化するのかわからない。しかもこの岩崎氏の訳は特にすぐれた訳とも思えない。
まず言葉遣いが古いところがある。例えば「踏んぎる」「狸寝入り」「紅茶茶碗」などの語彙。全体的に見ても言葉遣いに新鮮さがない。まあ、岩崎氏もかなりの高齢のはずだから、仕方がないのかもしれないが、だからこそ、なぜ今頃と思ってしまう。
訳し方が気になるところもある。「J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌」の最初のところに次のように訳している箇所があった:
「薄暮が空に広がって
手術台の上の麻酔患者のように見えるとき。」
「薄暮」が人体の輪郭をもって「見える」と言っているのだが、ありえない話である。同じ箇所を上田保は次のように訳している:
「手術台で麻酔にかけられた患者のように
夕暮れが空いちめんに広がるとき、」
こちらのほうが直訳である。次の箇所も驚いた:
「安宿で落ちつかぬ夜たちが
何かを呟きながらひそんでいたり」
この箇所が「夜」を擬人化したものとは知らなかった。上田訳だとこうなっている:
「ひと晩どまりの安ホテルに流れこんで、
眠られぬ夜にもらすささやきや、」
エリオットという詩人は、岩崎氏が考えるほど擬人法が好きだったのだろうか。
注釈のほうはおそらく標準的な内容なのかもしれないが、例えばタロットカードの「三叉の鉾をもつ男」とは、どのカードのことなのだろう。原詩を見ると「三本棒の男」となっているので、私は「ワンドの3」のことだと思っていたのだが。断定的に書いている注釈が大半だが、果たして内容は信頼できるのか。
エリオットの詩は全体としては難解だが、部分的に見るとカッコいい名文句がたくさんある。この訳で読むよりも原詩で読んだほうが楽しめるだろう。