戦争を語ることは難しい。殊に、「惨憺たる負け戦」を語ることは難しい。その体験をした人間にとって、そのことを語ること自体が凄まじい苦痛だからだ。だから長く戦争に関する言説は、特定の教条に寄りかかったものか、そうでなくとも過剰な「物語」に依拠したものとならざるを得なかった。
だが、戦争というものほど「正確に知る」ことが大事なことはほかにない。そして戦争というものは、その時代を体験した人間でないとわからないことに満ちている。戦争を知らない世代であり、しかし戦争の何たるかを知りたいと渇望してきた評者にとって、本書のような「当事者」の公平で客観的な証言は、本当に文字どおり「有り難い」。自己弁護にも卑下にも走らない、正確で客観的な同時代の証言であり、その知的誠実には感動すら覚える。
もちろん、本書は終戦時に14歳であった筆者が記憶を再構築して語ったものである。だがそれが確固たる客観性を有しているのは、筆者が映画評論家として当時の映画をチェックし、当事者としての自らの思考と感情を再確認していることが大きい。映画は事実とともに、「時代の気分」記録するメディアでもあるのだ。
また、筆者が多年にわたってアジアの映画作品を日本に紹介する仕事をしてきたことも「客観的にあの戦争を語る」という難事を可能にした要因だと思われる。アジアの民衆の視線(それは必ずしも「反日」一辺倒ではない)を踏まえた省察が、筆者の「語り」に深みと多面性を与えている。
本書のような良質の「証言」を残してくださった筆者に、後の世代の人間として、深く感謝を捧げたい。