映画「硫黄島からの手紙」は綺麗過ぎたが、秋草鶴次海軍通信兵の「十七歳の硫黄島」で胸を打ち、今回更に大曲覚海軍中尉(当時23歳)の本書に驚愕した。大曲中尉は秋田鉱山専門(現秋田大学)から昭和18年10月に飛行機整備予備学生、追浜海軍航空隊入隊、19年5月少尉で、19年8月硫黄島の海軍南方諸島海軍航空隊(南方空)に着いた。陸軍13,300、海軍7,500。兵団長は栗林忠道中将(死直前に大将)だが、海軍は第二十七航空戦隊(市丸利之助少将)、南方空(井上左馬二大佐)、硫黄島警備隊(和智恒蔵中佐、後に更迭)の布陣。硫黄島の問題点はただ「水」にあった。川がなく雨量は極端に少ない。栄養失調、脱水症状、アメーバ赤痢に19年11月から苦しんだ。硫黄島は持久戦ではなく、実態は防空壕の洞窟奥深くじっとしていた。攻撃命令は組織の崩壊、無統制となり、個々如何に米軍の攻撃から逃れるか、水を得るか、食糧を確保するかで、米軍の俘虜にはならぬ戦陣訓のみで頑張った。20年2月19日の米軍上陸から3月初めには組織的抵抗は終わり、3月20日過ぎから日本軍の抵抗はない。洞窟の炎熱地獄に、兵は全て素っ裸、将校は流石に褌姿、あばらが浮いた丸裸に水筒をいくつもブル下げた姿だ。硫黄臭、死臭、糞尿臭、飢え渇き、凄まじい。そして米軍は洞窟内へ海水注入、ガソリン流し、一面火の海に、地獄だ。大曲中尉から見た栗林中将の印象は良くない。エリート意識の強い典型的な高級将校で将校間の不芳噂通りと言う。西竹一中佐も、米軍の特別な呼びかけが伝えられるが嘘だと断言する。美辞麗句、勝手な話も止めるべきだと。美談、英雄話もあり得ないと言う。西中佐率いる戦車隊の対戦車肉迫攻撃は、死んだ戦友の下腹から内臓を掴み出し自分の身体に塗って、戦車が来るまでじっと死体を演ずる。海軍の武器不足は小隊60名に三八式小銃が20挺、手榴弾一人2個、擲弾筒2挺のみ。それでもまだ沖縄決戦、本土決戦とは・・。