各所に鋭い指摘や使えそうな具体例がふんだんにある本であるが、どうしても気になるのが、静氏の言語学習に対する考え方が学習は条件付けの産物という行動主義の考え方に極端に支配されてしまっていることである。確かに行動主義的な考え方は発音指導にはかなり当てはまる部分があると思われるが、それを文法や語彙の習得など他の部分にも全て当てはめてしまっている傾向が強い。言葉の学習を単なる習慣付けと単純化してしまっている。個性ある実践家の言として敬意を表するが、大学の学者として自分の経験論を越えたもっと客観的根拠を提示していただきたいし、言葉の学習のどこまでの範囲を本書で書かれているような静流でカバーできるのかをもっと分別をもって書いていただきたかった。いたるところで強烈な言葉を振り回しているところも危惧する。他の先生方の実践を見下して馬鹿にしているようなところも見られ、静流でなければ何かがおかしいと言わんばかりの書き方には賛同できない。確かに面白い指摘も多々ある本だが、同時に扇動的であり、強い言葉に振り回されその内容を鵜呑みにしたりすると危険性さえも感じてしまう。読者は静流を冷静で客観的に見るべきだと思う。