ちょっと誤解を招くタイトルですね。中身はもう少しまじめで射程の広い本です。どちらかというと、著者が肯定するヨーロッパの立場を借りての、全般的なアメリカ批判という色彩の本だという印象を受けました。この種の本は確かにフランスではたくさん出ています。ただアメリカから見たヨーロッパという風に角度を変えれば、また別なことがいくらでもいえるわけで、むしろ英語にかかわる日本人の壮大な幻想の茶番の部分の解明にのみ焦点をあわせたほうがよかったのかもしれません。英語自体はほとんどの日本人にとり現実的な意味では必要ではないし、そこに多額の資源を投入する必然性や必要性はないというのは、そのとおりです。これは永遠の真理です。社会の失業人口吸収装置としての英語産業、アメリカの持つ本質的な不自由性(229ページ)やマッチポンプ型のシステム(207ページ)、との指摘は、著者の社会学者ならではの指摘です。ただアメリカにしてもヨーロッパにしても、どちらも自分の独善と利害の下で、自分のデザインをしているわけで、所詮右顧左眄している日本の発想の元とは気合の入り方が違うね。241ページの著者の多文化共生主義に向ける結論はラジカルですけど、真実です。と同時に深いペシミズムを漂わせています。そして流行を追いかけて一生を終える私たちは、限りなく”悲劇的で喜劇的な存在”であるというわけです。