従来のSVOを、「SがVするのはOである」という形で分解するのは、語順尊重でなんとなく理にかなっている感じはするが、しかし、いわゆる分裂文や擬似分裂文との区別をどのようにつけるのであろうか。つまり、I bought that book. とWhat I bought is that book.はどう違うのか、まさか後者を「何を私が買ったのかというと、その本である」とするのでは、明確に誤りである。 また、「SがVするのはOである」という日本語で、この文中の「の」が代名詞であることを、著者は認識しているのであろうか。つまり、この訳文は、構造的に擬似分裂文との対応性が余りに強く、通常のSVOの訳文として使ってしまうと、日本語による正確な理解も、英語における弁別システムに対する認識も、どちらも損なわれてしまうのではないか。 さらに、「SがVするのはOである」という文が一見上手くいっているように見えるとすれば、それはこの文が、「は」と「が」を一文中に詰め込んで、両者の弁別を強引に解決しているためである。しかしこのやり方では、英語における両者の感覚的区別が、無きもののように扱われてしまうのではないか。従来の英文法では、英語においては両者の区別は文脈、話者の含意によって決まるとされるが、そちらの方がはるかに正確に現実を記述している。著者のやり方は、実際の英文に余り接していない人間への、体のいいごまかしでしかない。