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似たもの同士の2人だが、1つだけ大きく違うのは、野崎歓がフランスの翻訳文学からフランス語学習へと進んだのに対し、斎藤兆史のほうは純粋に英語そのものへの興味から英文学へと進んだ点だ。このアプローチの違いが対談をより立体的にしている。どちらかといえばまじめで堅い斎藤兆史に対し、身軽でユーモアのある野崎歓のくすぐりが入り、そのバランスも絶妙である。
I・II章では、語学学習について語られる。英語一辺倒の学校教育や、読み書き軽視・会話重視のメソッドに異議を唱える。
III・IV章では、多数訳書のある斎藤・野崎の翻訳観が語られる。翻訳が日本の文学史に果たした役割から、実際に両氏が体験した翻訳の舞台裏までに話が及ぶ。さまざまなタイプの原作者との交流の話などが興味深い。
V・VI章では文学について語られる。本来ならさまざまな研究者について言及すべきところで、おそらく紙幅におさまりきれないスケールになるようなテーマだが、翻訳とのかかわりというところで話をまとめているのでわかりやすい。
わたしは『少年キム』の訳に感動して斎藤兆史のこの本を手にとったので、『キム』とサイードについて書かれた部分は非常に参考になった。また、バルトやジェラール・ジュネットなどの構造主義的アプローチについてもわかりやすく触れられている。
語学習得や翻訳の話では、『基礎ドイツ語』創刊者・関口存男や人気翻訳者・柴田元幸、作家の村上春樹をはじめとするさまざまな「ことばの使い手」について、興味深いエピソードが紹介されている。
まず最初は一気に読んでしまうが、何度でも読み返して参照したい本である。語学教育・翻訳・文学に関わる人にはぜひ手にとっていただきたい。
他にもコミュニケーション重視、会話偏重の語学教育を批判するものとしていろいろ面白い意見が見られたし、野崎氏の、読解をしっかりやってきたから、いきなり口語にうつってもなんとかなった、という体験談は訳読派の人には自信になるだろう。
最近ではむしろ会話教育を批判する語学本のほうが多いのではないか、というくらいだが、この本ではそれ以外にも翻訳の問題や文学の問題が深く論じられているので楽しめる筈だ。
ただ、そういった翻訳論も文学論も、やはり語学教育論と密接に関係しているということが読んでいてわかってくるだろう。訳すこと、これすなわち学問、また、すなわち教育、という思想、今ではどれくらいの人がこの思想を受け入れるかわからないが、ごもっともな考えであると思う。
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