クリスマスには彼女とホテルでエッチ。年越しデートはディズニーランド。送るべき毎日はトレンディドラマのような恋愛至上主義的生活。こんな具合に日本の市場経済は80年代以降、「正しい消費者」像を若者に次々と押し付け、簒奪を始めた。という趣旨の本です。
「若者殺しの時代」というまがまがしく刺激的なタイトルはまずまず当たっていると思うし、書籍の販売戦略上も成功していると思います。いえ、これは決して皮肉や反語的な修辞としていっているわけではありません。事実、よく出来た内容の本だと思います。
ただし、こうした趣旨の本は本書が初めてではなくて、私は今から10年も前に大澤真幸著「
虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争 (ちくま新書)」(96年刊)の中で、高度化した資本主義社会で人々は商品にまつわる「物語」を購入し費消するのだ、といった趣旨のことを読んだ憶えがあります。
本書「若者殺しの時代」はまさに大澤真幸が唱えたように、80年代以降の豊かな日本人は、資本主義とメディアが手を携えて次々と繰り出す物語を、我が物にしようと走らされ続けてきたような気がします。
幸い私は80年代の前半はお金のない学生でしたし、後半は東京を離れて地方都市暮らしをしていました。東京で展開されているらしいバブルの乱痴気騒ぎからはかろうじて距離を置いて、農林水産業に携わる人々と親交を結びながら、浮世離れしたほどのどかな伝統社会の中に生きることの意味を考え続けていました。
ですから本書が終章で唱えるように、「いまの社会の要請に応えない」ことで逃げる上で伝統文化を身につけることがひとつの手立てであるというのは大いに頷けるのです。著者は冗談半分に落語や都々逸、古武道などを身につけるべしというけれど、私は土や樹木や太陽を愛し敬った伝統へ帰るというのが、80年代に始まった何かおかしな今の日本から脱する真っ当な手段のような気がしてなりません。