ご存知の方も多いかと思いますが、
作者の 赤木智弘 氏は「・・・31歳フリーター。希望は、戦争。」を2007年1月号の「論座」に書いた人です。
過激な見出しとは、うらはらに赤木氏の文章を丁寧に読めば、決して戦争を望んでいるわけでも、現実逃避でもないことがわかると思います。
一部抜粋
私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それは、現実的な人間として当然の要求だろう。
佐高信氏は「戦争によって自分が死ぬことを考えていないように見える。」という。
(私も同じ疑問を持ったのですが、赤木氏は明快に否定)
私は戦争なんかで栄誉を得られるとは思っていないし、戦うこと自体に爽快感を感じたりしない。
・・現状のまま生き続けたとしても・・働けなくなってしまえば、経済的基盤を失うのだから、首を吊るしかなくなる。
その時に、社会の誰も、私に対して同情などしてくれないだろう。
「自己責任」「負け犬」というレッテルを張られながら、無念のまま死ぬことになる。
今後も決して報われることのないまま、ただの機械として低賃金の単純労働をこなし続けなければならない。
彼らはどうして、そのような耐え難い苦痛をくみ取ろうとせず「お前の不幸などたいしたことない」かのようなことをいうのだろう。
「社会と戦え!」「もっと考えろ!」を言われるが私は社会から逃げているつもりはないし、考えを放棄するつもりもない。
考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金が必要不可欠であり、それを得られて初めて「考える」という行為をすることができる。
そうした人間が、考えて活動するための「土台」を整備することこそ、私に反論する方々の「責任」ではないだろうか。
<酷なようだけど、このギャンブルに負ける確率が高いのは、おそらくは31歳で家族がなく定職にもついていないあなたなのだ。>
森さんそんなことはわかっているんですよ。
森や福島の「戦争が始まれば、弱者はもっとひどい目にあうぞ」という意見の問題は、弱者若者がおちいっている現状の悲惨さをあまりに低く見積もりすぎていることです。
・・・そして、可能性がないということは、現状維持ではなくて、転落を意味しています。
以上、 どこまで、赤木氏の悲痛な叫びをくみ取れたか自信がないのですが、この本は私の中で、読む前と後で価値観とか、何かが大きく変わった一冊です。