一応冒頭で断っておくと、私は左寄りの書物についてもだいぶ多く触れてきていると思いますし、共感できるものもそれなりにあります。
この書物は政治にあまり関心のない人々に対して感情的なフックとして作用し、政治参加を促すきっかけになるかもしれません。それはきっとよいことなのだろうと思います。しかしながら、そうした利点があるとしても、これはちょっと問題ありだと思います。 著者は政権交代の主張といい手段を選ばないという面が少なからずあるのではないでしょうか。
というのも、ここで挙げられているネオコンやネオリベ批判はそれこそ紋切型のマスメディア的論調であることに気付きますが、それで高評価している方々も、メディアから入ってきた小泉云々といった言説をこの書物で再確認して納得してしまっているのではないかと思えてしまいます。敵が簡単に名指しできない時代に突入しつつある、あるいはしているということに意識が向かないと、それこそ危ういのではないでしょうか。
この書物で用いられているような友敵図式はナチスの御用学者といわれたカール・シュミットの理論です。これは政治的動員において強力ですし、常套手段なので利用したくなるのもわかります。しかし、強者に対する弱者の動員のためならそれを徹底的に用いてもいいのでしょうか。
あまりにもよく知られているように、ナチスは当時世界で最も民主的とまでいわれたヴァイマル共和国において、選挙によって合法的に権力を奪取しました。 そして、その際にユダヤ人は弱者として排斥されたのでしょうか。そうでありません。やはり彼らも金融業を仕切っている強者として排斥されたのです。それは本書でも触れられています。そうした事実を棚に上げ、自ら弱者の味方を標榜し友敵図式とは首を傾げざるをえません。
ステレオタイプの危険性と重要性を指摘しつつ、自らも極めてステレオタイプ化し易い友敵図式を多分に用いている上に、やれこの番組はいいだの主張してステレオタイプ形成を助長しています。結局免疫がないところに、ネオコン、ネオリベ、小泉、オリックス云々は悪だというステレオタイプを容易に生み出している、あるいは強化しているのではないでしょうか。それは、仮に彼らが本当に悪だったのだとしても、形式的にかなり問題があります。
露骨に矛盾しないように、ステレオタイプの重要性も主張されていますが、自分の言っていることは真実だから、そのステレオタイプは有用なのである。だから用いてもよい。それは都合のいいステレオタイプ形成を手段にするだれもが使う論理でしょう。拠り所はやはり安易な友敵図式です。そんな論理を使いながら、ステレオタイプに警鐘を鳴らすなんて噴飯ものです。少しはここでも丸山真男を見習っていただきたかった。
そうした友敵図式やステレオタイプを用いているので、内容自体はとても分かりやすいです。ただ、仲正昌樹ではありませんが、疑うといっていて、分かりやすさを疑わないのはなぜなのでしょうか。
著者は確かに若者に同情的である気はします。以前NHKで更に若者に対して同情的な勝間和代にやりくるめられていましたが、それでも著者の立場は理解できました。しかし、同情的であることや、なるべく適切な知識を授けることと、アジることは異なっているように思われます。