(以下、ラストのあらすじに関わる記述が出てきますので、ご存知でない方は読まない方が楽しめます。ご注意ください。)
芸術を愛するインテリ青年が人妻に恋焦がれるお話で、ゲーテとその友人の実体験がモデルとなっている。ここに描かれた主人公のライフスタイルというのは、例えば、音楽や文学なんかに打ち込みながら大学に通いつつ、恋をして恋に破れ、働いてみては職業人を小馬鹿にして、という具合の、今の時代の普通のインテリ青年の感傷とかなり似通っている。(僕もそんな平凡な学生だった。ただ、当時はインテリ的教養が無かったので、中年の今になって本書を読むことになったのだが。)これは法学を修めたものの今ひとつ弁護士家業に打ち込めなかった若き日の作者の鬱屈が反映されている訳だが、書簡体が採用されているのは一人称で延々とそんな鬱屈を吐露しやすかったからだろう。一方、終盤のパートは友人が人妻への横恋慕を苦にして自殺したことを反映しているのだが、この終盤が一人称だけで構成されておらず、客観的に視点を引いた三人称の導入がされている点は興味深い。
現代の思春期にも通じる煩悶のリアリティが200年以上前に書かれたこの小説に息吹いている点は、やはり古典に残るだけある。(この小説が出た時、日本はまだ江戸時代だよ。)若いうちに読んでおけば、大きく共感できる作品だろう。だが、そんなウェルテル的青春を通過して、いつの間にか所帯持ちの自営業としてアクセク働くようになったオサーンの私にしてみると、本書に描かれた恋愛はかなり自己愛が過剰で突っ込みどころが満載なのも事実だ。新婚の人妻の家に通い詰め、割と大人の対応をしてくる夫には、嫉妬して議論を吹っかける。わざわざ嘘をついて夫のピストルを借り出し、それで自殺してみせる。残った遺書には人妻への想いが満載で、自分の死後に世間話のネタにされる人妻一家への気遣いは全く無し。こういった相手への気遣いの無さはゲーテ自身にも当てはまり、本書のヒロインの名は彼が昔恋をした人妻の実名である。本書が大評判になったお陰で、人妻の家庭は相当迷惑しただろう。生涯に渡って情熱的な恋愛を繰り返し、74歳で17歳の少女に求婚したというエピソードを持つゲーテにとって、恋愛とは「恋焦がれること」だった。しかし、相手にとって迷惑でない片想いというものは極めて稀である。
また文学小説の構成としてもプロットがかなり単純で、なんせ横恋慕して自殺するだけの話を延々と引っ張って書いているので、非情にダラダラしている。本書が主人公の自殺で終わることが明かされてからも、まだかなりのページ数が費やされてるのだが、そういう点では正直近代小説として読むと下手な作品である。ただ、作家/主人公の内面表現に軸を置いたのが近代小説なのだとしたら、この小説が近代小説の起源のひとつだという文学的定説は妥当である。そういう意味でも、若い人は読んでおいて損はしない作品だが、「世界文学史上最高の傑作」という本書解説の叩き文句はドイツ文学者の贔屓目が入ってるので、読んでみてそう思わなかったとしても多分貴方の感性の方が正しい。