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最も参考になったカスタマーレビュー
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
いつから芸術は「それ自体崇高で価値のあるもの」になったのか,
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レビュー対象商品: 芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神 (単行本)
芸術というと「よくわからない」「わかるひとにはわかる」「そういうすごいもの」という印象が多いだろう。しかし、芸術がそういうものになったのは実は近代に入ってからだ。 それまでの芸術というのは王宮とかそういうところで用いられていたもので「展示」ということをされるためのものではなかった。 あるいは、教会で疑似体験をさせるための道具であった。 そもそも、artとして科学も技術も芸術もひとくくりに見られていたのだ。 だから半ば技術的な側面で、芸術は使われていた。 それが、近代になって芸術が分離するとともに「芸術独自の価値」を押しだすようになった。 こうしたプロセスを、思想史に当てはめながら上手くひも解いている。 思想史の方がむしろメインではと思うぐらい思想史が多い。 政教分離やカント・ヘーゲルの思想の位置付けなどなど、知らなかったけど面白い内容も多い。 西洋思想史として読んでも十分楽しめそうなくらいだ。 もちろん芸術史としても非常に面白い。
8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
代替宗教としての芸術,
By 野火止林太郎 (大阪府) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神 (単行本)
現在の代替宗教は、芸術作品とその作者をも含めた「商品」であると思われるが、最早「商品」というモノそのもの、作者という製作者自身ではなく、それらを消費するという行為そのものが宗教(神)という玉座に登りつめたということではないか。いやはや、こういう言い方もすでに陳腐か。著者が目指す「芸術の否定」は、一層心理的なレベルで実現してしまっており、ナルシシズムの代替がすなわち消費であって、いまや消費することでしか「宗教的な法悦=ナルシシズム」は得られない。20年ほど前に出ていたクリストファー・ラッシュの『ナルシシズムの時代』(ナツメ社)の慧眼を思い出す。 「芸術を思いあがらせ、逸脱させ、暴徒化の方向へ導いてきた」西欧近代の芸術思想は、現今のたとえば村上隆の作品およびその言述とも併せて見るなら、「内面の商品化」や「人間関係の商品化」、端的に「人間の商品化」とも親和性を持つ。いや、と言うよりその直接的な因果関係であろう。ここでも「よきにつけ、悪しきにつけ、最終的にものをいうのは理念である」(ケインズ)という経済学者の言葉がそれを最もうまく説明する。勿論、それは表層的な説明であって、そうした芸術思想の拠って来るところには、著者が精緻に解説する経済社会の構造にそもそもの「因」があるわけだが。 本書はナイーブに芸術を崇拝する、あるいは崇拝したい趣味的な芸術愛好家のイデオロギー性を暴く基本的な視点を提示する。最近読んだ岡田暁生の新著『CD&DVD51で語る西洋音楽史』(新書館)にある「快適な癒しの波長として消費」する対象物としての芸術作品の在り方への異議申し立てと相通じる。 音楽にしろ、絵画にしろ、言語芸術にしろ、その成立と受容の在り方を問うことが、芸術論の忘却されたしかし最重要の課題である。 政教分離が為政者の側からの宗教勢力の排除ではなく、宗教側からの自らの生き残りのための戦略であったという著者が強調する視点が評者には新鮮だった。これは、宗教史的には「常識」なのだろうか?
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