田辺聖子さんの快心の作品。等身大の杉田久女を描ききったからである。
それというのも久女は見事な俳句を多くつくったが、自分勝手な変わり者で、周囲の人を振り回し、最後は気が来るって「独語独笑」で死んだ、人間的に欠陥の多かった人として評価されていたが、この評価はあたってなく、むしろ当時「アララギ」を主宰し俳句の世界で神様のような存在であった高浜虚子による久女評価(嘘八百の捏造)に根があったことを突きとめ、久女伝説に終止符をうち、彼女の復権させたからである。
久女は不幸な結婚後、次兄の手ほどきで俳句を嗜み(その時27歳)、その後短期間でめきめき頭角をあらわし、実力では当時の第一線に躍り出た人であった。理解のない夫、休む暇ない家事・育児のなかで秀逸な作品を次々と世に出し、写実主義の登竜門であった「アララギ」で評価を得た。
俳句にのめりこみ才覚を発揮したのだが、一面で思い込みが強く、ナルシズム的な気性があり、人間関係を上手く作れず、それらが保守的な時代の世相と、小倉という土地柄に増幅されて誤解が誤解を生んだ。能力を評価され「アララギ」の同人となるが、虚子に嫌われ、疎まれて除名されてから、作品に精彩を欠くようになり、自分の句集の出版に期待を欠けたが叶わず、戦争に入って、窮乏と栄養失調で他界した。虚子は久女の「アララギ」除名を正当化するために事実を捏造し、彼女の生を貶めた。
著者は人間、久女によりそいながら、その才能を評価し、久女の実像を形にした。「花衣ぬぐやまつわるひもいろいろ」「谺して山ほととぎすほしいまま」「朝顔や濁りそめたる市の空」「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」「夕顔やひらきかかりてひだ深く」「鶯や螺鈿古りたる小衝立」。514頁の大作。