幼少期に父親から性的虐待を受けていたという小説家が、自身の半生を綴ったもの。J文学のその後をたどっていて、見つけました。斉藤学氏に少し批判的な、一般の読者の感想です。
(読み物としての評価であって、著者の人生を批判する意図はありません。
斉藤氏に批判的な理由は、「トラウマ」なしで病んだ人が身近にいるから。)
まず、プロローグでつまづく。
著者は、幼稚園では医者、小学校では海洋生物学者、中高では外交官かジャーナリストになるのが夢で、
「わたしはいわゆる地方の町の神童で、勉強スポーツ文化活動、どれを取っても優だった。もしもわたしが本気で挑んでいたならば、どんな夢でもこの手で実現できていたかもしれなかった。
だが、そんなわたしの夢の翼は、ずたずたに裂かれてしまった。わたしを生んだ父の手で。今のわたしは、挫折感や絶望感、もう自分ではどうにもならない過去の炎渦にすっかり打ちひしがれた、ただの無力な人間に過ぎない。」
とあるが、言い方が高飛車なのもあるけど、東大文学部卒で、文藝賞の優秀作を取って小説家としてデビューした人が何を言ってるんだ? と非常に反感を覚えてしまった。
父親によって自分の人生は滅茶苦茶にされた、ということを強調したかったのだろうけど、小説家になるのは夢とかではなかったのだろうか。それになぜ文学部??
続きで、
1章は、小学校のころに父親からされた、ペッティングやキスについて
2章は、著者よりひどい性的虐待をされたという姉について
この本のメインで、読む人によっては、悲痛でページを閉じてしまいたくなる内容を、詳細に描いています。よく書いたなと思う。
大学入学以降は、生活の基盤が岩手の実家から東京へ移り、父親とはほぼ顔を合わすこともなくなります。
3章は、サークルの先輩との恋愛について
結婚手前まで行って、自らその関係を壊してしまった(他の男と寝て)、自分の心理を、かなり深く掘り下げて書いてます。この章は「機能不全」の家庭で育った人だと、わりと共感できると思う。
4章は、銀座のクラブでのバイトと、父親から犯されるフラッシュバックについて
「ボディ・レンタル」は実体験を元にしてるのが分かる。母と姉に助けを求め、故郷で「感動的な再開」を果たし、父親がレイプ犯として出てくるフラッシュバックに襲われる。姉の主治医にも会って話して、東京の医者に宛てた紹介状(軽度の境界型人格障害の疑い)を受け取っている。
これ以降は、岩手には一度も帰っていないとのこと。
5章は、翻訳家としての孤独な日々と小説家としてのデビュー
6章は、父親と同い年のフランス人男性との不倫とPTSDという診断
7章は、クリニックの詳細(インナーチャイルド?)と自身の埋葬
5章以降は、どうしても作為的なものを感じてしまう。というより、分量的に一番多い6章を読んでいるうちに、この人実はそんなに重くないんじゃないかな、と感じてしまった。
プロローグの違和感と同じで、「死神」と称されたフランス人男性が、どこにでもいるような男で、要は著者が何でも物事を大げさに捉えて、劇的な表現を使っているだけなんじゃないか、と感じたのが原因。
それもPTSDによる認知の歪みと感情過多と解釈すればそれまでだけど、狼少年になってるように感じた。他の部分も色々脚色してるんじゃないかとも。(あくまでも、読み物としてそう感じたということです。)
斉藤学氏は、この本を一般流通に乗せることが治療的だと思ってるのだろうか。