芭蕉の入門書は数多いが、芭蕉の伝記的紹介として本書は非常に良くできている。
派手さはないが、淡々と芭蕉の人生を(その俳風の変遷と共に)追っていて好感がもてる。
冒頭のプロローグ(俳諧とは何か)なども、分量にしてわずか20頁ほどの文章であるが、簡にして要を得た初期俳諧史の概説になっている。
芭蕉の人生を概観する上で本書が重視するのは、(研究者の間ではもはや常識なのかもしれないが)仏頂和尚との出会いである。
仏頂和尚は臨済宗の僧侶で、鹿島にある根本寺の住職だった。彼は、鹿島神宮と根本寺の訴訟問題で江戸に滞在していた時期があった。
長く見積もっても2年に満たない交流ではあるが、この仏頂との出会いによって芭蕉は「禅」に触発され、また『荘子』のような教典に深く傾倒するようになったという。
この経験を経て、芭蕉はいわゆる「蕉風」を確立していくことになるのだ。
禅宗においては、詩文によって自身の「悟りの境地」を示したり、あるいは詩文そのものを「悟り」を得るための修行の場とみなす、ということがある。
芭蕉の俳諧に対する態度も、確かにこれと似たものがあるように思える。彼には、俳諧を通じて到達したいある「境地」があったのだ。
もちろんそれは「仏の教え」ではなくて、「誠」や「造化」といった「この世界の本質、本来のあり方」であったり、また西行や宗祇ら先人の到達した詩的世界だったのだが。
また、芭蕉は俳諧の理念として「わび」や「かるみ」といった語を用いていたが、それは「面白おかしさ」を本質とする当時の俳諧の通念とは明らかに異質なものだった(俳諧は本来「誹諧連歌」と呼ばれ、誹諧とは「滑稽」という意味だ)。
いってみれば、「ことばの遊戯」にすぎなかった俳諧というジャンルに、禅的な「奥行き」を持ち込み、芸術化したのが芭蕉なのである。
ある意味では「詩歌の歴史をねじ曲げてしまった」ともいえるが、その問題についてはここで論じるべきではないだろう。