芥川の晩年の作品集である。ここに収められている「河童」「或阿呆の一生」「「闇中問答」「歯車」は、晩年の芥川の考え、心情を理解するためには、是非とも読んでおきたい作品だ。改めてこれらを読むと、芥川の心を覆っていた闇の深さに驚かされる。
「河童」は、大正期の日本社会のカリカチュアとなっており、いかに理不尽で不思議な常識が、人間社会でまかりとおっているかを、芥川は見事に浮き彫りにしてみせる。
「或阿呆の一生」では、「人生は二十九歳の彼にはもう少しも明るくはなかつた」「彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」と述べる。凡庸な日々の生活や、鋭い理性と感性から来る、日常的な不安、そして、良心も宗教も存在しない、彼の心と彼を取り巻く社会によって彼は追い詰められてしまったのだ。
「闇中問答」は、芥川が得意としたアフォリズムがちりばめられた、自問自答の作品だ。自分は「どう云う良心も持っていない」と述べる芥川は、阿呆になりたかった。でもなれなかった。悪人にもなれなかった。最後の作品のひとつが「或阿呆の一生」という題名なのは、まったくの皮肉だ。とはいえ、結末の部分から、この作品は迷いを見せながら、形だけでも自分自身を元気付けるために書かれたものであるように思える。
「歯車」では彼の心情をつまびらかにする筆力が凄い。芥川を苦しめる不安と恐怖の数々。彼の周辺で起こる、いちいちの出来事に不安を予兆する「しるし」と関連性を感じざるをえず、芥川を奈落に突き落とすのだ。
類まれなる頭脳を持って生まれた近代人、芥川龍之介。しかし良心も思想もなく、ただ澄み渡った明晰な理知が存在する場合にどういう悲劇が起こるかを、芥川の人生は示しているように思う。