『レナードの朝』の著者として知られているオリバー・サックスの紀行文学である.出版されてすぐに購入しながら書庫で眠らせておいた本書を10年ぶりにひもといてみた.
第1部を占めるのは,ミクロネシア連邦の東カロリン諸島の環礁島のひとつピンゲラップ島の住民に多い常染色体劣性の全色盲に関する記述である.Pingelapese achromatopsia (ACHM3, MIM#262300)についてはロックフェラー大学のWinick JD博士らが1999年にゲノム連鎖解析により染色体8q21-q22に疾患遺伝子が存在することを特定し,その後網膜錐体細胞の情報伝達経路を担う蛋白の遺伝子異常が証明されている.本書はそのような特異な遺伝性疾患の解説というより,紀行文としての記述に重点が置かれている.ハワイから飛行機を乗り継いでピンゲラップ島に至る珍道中や,軍事的に秘密のベールに包まれたミクロネシアの知られざる島々,その一方で観光地化されながらも豊かな熱帯の植生に恵まれた島嶼住民ののんびりとした生活が活写されている.
第2部はグアム島のALS/Parkinsonism complexを巡る風土病についてのお話しである.現在ではALS/Parkinsonism/dementia complexはタウノパチーとしての疾患群に包括され,遺伝的素因を巡る最新の知見が明らかにされつつある.この奇病の発見と疫学的調査の歴史的過程は興味深い.風土病の解明にかけた科学者たちの野心とは対照的に,研究者から好奇の対象とみなされながらも病気を達観して生きるChamorroの人々の姿がよく描かれている.最近になって本書にも現地で患者のケアに生涯を捧げる神経内科医として登場しているJohn C. SteeleがNeurology誌(2008;70:1984-1990)にソテツ毒素説との関連についての総説を発表しており一読の価値がある.文明の介入により滋味豊かな島の風土や島民の行動は変容してゆき,それとともに近親婚から解放され疾患遺伝子や疾患感受性遺伝子も希釈されていくのであろう.
最後の章では著者の少年時代からの植物進化への興味をみたす南洋蘇鉄の記述に捧げられている.神経科学と植物学的分類学,植物由来の配糖体の毒素学との関連や,『蘇鉄のすべて』(栄 喜久元)にも書かれているように,琉球弧の島々でも飢饉のときの非常食としてソテツの実は食用に供され,サイカシンが原因の食中毒を引き起こしてきた歴史が日本にもある.縦軸である神経難病の記述と,通奏底音となっている島のソテツの話が横軸となりオリバー・サックスならではの奥行きの深い叙述となっている.この本を通読することでグアム島やロタ島の風景の見方が少し変わるかもしれない.