アナトール・フランスは現世的な快楽をこよなく愛する人である。
生きる楽しみを失わせる一切のものが嫌いらしく、抑圧的な傾向に対する反発は、後年の『神々は渇く』
にもごく控えめな形で表わされている。
ティム・バートンが『マーズ・アタック!』で小市民的な社会に対する憎悪を炸裂させたように、
禁欲を是とする傾向を一人の苦行僧の形を取らせて、さながら私怨を晴らすかの如くいじり倒したのが
この小説と言える。
導入部からして悪意がぷんぷん漂っているが、進むにつれ黒々とした笑いは哄笑となって響き渡る。
主人公が更なる苦行を求めて砂漠の只中の遺跡の柱に登り、その足元に文字通り「門前市を成す」
人々の営みが展開される段など、ここまで虚仮にするかと頭を抱えたくなるほどである(しかも、
ここから先はもっとヒドイ)。
「文学とは」眉間に皺を寄せて語るものであるかのように考えられがちだった時代に誤読されたのか、
古びたものと見なされ、今ではあまり読まれなくなっている作家であるが、その本質はコメディーである。
今ならば、これがお笑い小説である事は容易に理解されるのではあるまいか。
砂漠の修道院 (新潮選書)