渋谷の映画館Bunkamuraル・シネマでこの映画を見て、ぼくは結末に涙が止まりませんでした。結婚したくてしかたがない中年男が、自分は旅館経営者だと相手に嘘をついたことから、相手の別れた夫の連れ子である盲目の少女の面倒をみることになったものの・・・、というのが、最初のほうのストーリーです。
チャン・イーモウの最近の作品、『あの子を探して』、『初恋のきた道』では、ヒロインは、テレビ局の局長や村長といったそれなりに力のある大人/権力者の助力によって、自分の待ち人や尋ね人と無事再会できるという“奇跡”のドラマを生きました。
それらと比べて、『至福のとき』が決定的に異なり、そしてぼくがすぐれていると思ったのは、次の二点です。まず、今回も作り手にとって都合のいい展開は若干なくはないですが、でも、今回のヒロインには“奇跡”が起こらないという点。この設定を通して、チャンは底辺民衆の厳しい環境を誠実に描写しているのではないでしょうか。次に、盲目の彼女が、カメラ/映像ではなく、テープレコーダー/音楽のほうを娯楽と心の支えにして生きてきたと設定されている点。この設定を通して、チャンは、“映画の奇跡”が及ぶ範囲の限界を認めたかったのではないでしょうか。
以上のように、映画の結末は、「さわやか」ということばだけではかたづけられないほど切なすぎます。というのも、天や他人から奇跡が自分の身に降って来ることは現実にはほとんどないわけですから。それでも、ヒロインが何があろうと自分のできる範囲の思いやりをささやかでも大事にしながら強い心とちいさな一歩で着実に歩き続けることのほうにささやかな希望を託しています。