1958年生まれの社会学者と1971年生まれの哲学者が、流行の現場主義に理論を再導入し、問題を提起し(解決ではなく)、現場から理論を叩き直すことを意図して行なった、2002年後半の3回にわたる対談の記録。大きな物語の共有に基礎を置く従来の「規律訓練型権力」に対して、近年では人の行動を物理的・無意識的に制限する「環境管理型権力」が台頭してきている。後者は価値観の多様化と矛盾しない権力の在り方であり、したがって対抗することが難しい。人間は固有性(自分でしかありえない私)と偶有性(他者であったかもしれない私)の二つを持って、初めて人間でいられる。偶有性のために、人間は疎遠なものでも引き受け得る想像力(共感能力)をもっているが、環境管理型権力はその弱体化につけこむ。現在の権力は、偶有性の弱体化(動物化)により連帯の可能性も弱体化し(島宇宙化)、公共圏のヴァーチャル・リアリティ化(対話の無力化)とセキュリティの強化(剥き出しの生の管理=生物的身体の編成)とが、乖離したまま同時に進行している状況において働く。これに対抗しようとすると、「犯罪をする自由」のような、収まりの悪い表現になってしまうため、著者達は新たな概念の発明によって、この偶有性の重要性を表現し、政治的身体と生物的身体をもう一度結び付けようとしている。議論がやや抽象的だが、現在の自由に関する問題の所在を鋭く突いている(国家権力よりも社会の方が危険に感じられる現代の状況下での、イデオロギーを無効化したセキュリティの暴走)。ただ、凡庸な実践を積み重ねていくというなら、セキュリティ情報の「管理者」の問題(警察の不祥事の監視の在り方や、サイバーテロの危険性)は問題にすべきだろう。なお、大澤氏が論理の流れを重視するあまり、二面性の弁証法的総合を強調しがちなのに対し、東氏はより実践的であり、二面性の並存を強調する傾向がある。