前々世紀の遺物?である『自由の哲学』を読んで、21世紀になった今も、人間の「自由」の本質についての認識は、あまり進んでいないのではないかと思いました。さらに言えば、人類はこと「思考」ということに関して、行動主義的なアプローチと、観念論的あるいは言語論的なアプローチに引っ張られて、総体としては間違った方向に進んだのではないかと考えられます。それぞれのアプローチは、「思考」という営みに一部を説明することには成功しているでしょうが、かえってそのことで本質を隠蔽してしまっているのではないでしょうか?
私たちが、人生のほとんどの時間を、過去の記憶や他者から与えられた理念によって埋め尽くし、自らまったく新しい思考をする機会がほとんどないことは、少し自分を振り返ってみれば分かることでしょう。そして、そこに「選択の自由」はあっても、本当の意味での「自由」がないこともお分かりになると思います。では、どうしたら私たちは「自由」になれるのか? シュタイナーは、その手がかりとして「思考」を挙げる一方で、私たちを「自由」に導くものとして「思考」を捉えなおそうとしているように見えます。それは単なる記憶の反応でもないし、抽象的な論理のつなぎ合わせでもないのです。では、いったいシュタイナーの言う「思考」とは何なのか? この本を読んで、思考錯誤してみてください。