ヴェイユといえば神に関する思索というイメージが強く、またこの書物の題名にある「自由と社会的抑圧」は現在の問題群からすると少し時代の隔たりを感じてしまうのであるが、この書物をひとたび開いた途端、その魅力ゆえに一気に読み進めてしまった。マルクスを叩き台として展開される労働と生産に対する思索は全く時代遅れということはなく、むしろ我々はまだ彼女が考えた問題群の中に存在する。今ではあまりにも事情が錯綜し、非常にわかりにくくなったため、労働や生産に関してすっきりとした説明に触れることは少ないが、この書物はまだそれらを根元から考えられるぎりぎりの時代において、しかしながらその時代から独立して紡がれた思索があり、ここに描かれた状況は100年近くたった今の我々においても自らの現実として読むことができる。すぐれた思想書とはこういったものではないだろうか。ヴェイユがこの書物を書いたときは、時代状況としてはきわめて閉塞しており、その閉塞が基になって紡がれた思索には違いないが、しかしヴェイユの眼はその時代よりはるか彼方まで見通しており、それゆえに我々にも切実に語りかけてくるのである。ヴェイユの思索は昔から少しひかれるものを感じていたが、この書物をきっかけに一つ「労働」をkeyとしてヴェイユをたどってみたくなった。