第一章で著者は、宇宙や生命の成立過程という意味での歴史(自然史)を、文書記録という狭義の歴史と区別するため「歴誌」という言葉を造語している。だが「歴を誌す」では文書記録の意味を出ず、造語する意義が乏しいのでは。
著者には独特のこだわりがあるのだろうが、その感覚は(少なくとも私は)かなり共有し難いものがある。
この本全体を通じた私の印象も、概ねそんな感じであった。
筆者も解説する自然淘汰説対中立説の論争は、実はすでに2, 30年も前に決着をみた話である。現在の進化生物学の主流においては、適応万能論を支持する学者は皆無であり、自然淘汰も中立進化も共に進化の主要なメカニズムと位置づけられている。
だが、著者は現在のこの調和が気に入らないようだ。まさに中立万能論者とでもよぶに相応しく、自然淘汰による表現型進化を否定しようと試みている。
しかし著者の試みは証拠に乏しいだけでなく、論理的にも不備だらけのようにみえる。
例えばクジラ類の進化について、「あるとき四肢が著しく退化した突然変異体が生じた」(p.164)という著者の仮説は、四肢が一旦ひれに変化した後で後ろのひれが退化したという化石証拠とは矛盾している。また、人間の子供が泣くことに関しても、著者は「泣いて親を制御するほうが有利になった」可能性(p.171)に触れているが、私にはこの説は自然淘汰による説明としか思えない。
このような粗雑な自説を展開しておきながら、他方では「複雑な理論をつぎつぎに構築するのが好きな理論家」「自然淘汰を中心にすえた進化論にしがみつく進化研究者」などと他の研究者達を揶揄するに至っては論外である。学説上の論争なら正々堂々とすればよいだろうに。
結局、比較的違和感なく読めたのは第二、第三章の進化研究史の部分(と付録)くらいだった。この本は、進化生物学に関する知識があり、著者の思想に興味がある人以外にはとても勧められない。