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自死という生き方 (双葉新書)
 
 

自死という生き方 (双葉新書) [新書]

須原 一秀
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 920 通常配送無料 詳細
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商品の説明

内容紹介

65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死。著者は自殺を肯定し、本書を書き、それを実践して自死した。2008年に単行本として刊行し、出版界に衝撃を与えた話題の本がついに新書化。「積極的な死の受容」の記録がここに。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

須原 一秀
1940年、大阪生まれ。社会思想研究家。2006年4月、自身の哲学的事業として自死を遂げる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報

  • 新書: 308ページ
  • 出版社: 双葉社 (2009/12/9)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4575153516
  • ISBN-13: 978-4575153514
  • 発売日: 2009/12/9
  • 商品の寸法: 17.4 x 10.8 x 2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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形式:新書
本書を通して著者は「もともと明るくて陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、平常心のまま、暗さの陰も異常性も無く、つまり人生を肯定したまま、しかも非常に分かりやすい理由によって、決行される自死」(55頁)について語る。著者は本書の完成後に、事実自死を遂げる。

まず、読後の感想から。読ませる。久々に、夢中になって読み切った。全体も細部も論理的であり、自説「自死の優位性」を説得する点において首尾一貫している。著者の思考は観念論的でなく体感的思考なので、読書中、心と体がついていける気持ちの良さがあった。だがあるいは人が予想するような、自死あるいは自殺を扇動する類の書ではない。むしろそのような生き方(死に方)もあり得る、と控えめに、しかし自信をもって主張している。

個人的には、ソクラテスの解釈について、安易に権威に迎合してプラトンの解釈をありがたがることをせず、自分の頭と体で思考し、クセノポンの解釈を堂々と支援している点がかっこいいと思う。

本書からでなければ得られないものは実に多かった。その中でひとつだけ、「極みの理論」を取り上げたい(85頁以降)。著者は、悲観主義者ではない。今ある幸せを感謝し、噛みしめている。そのような幸せの絶頂を著者は「極み」と呼んでいる。その個所を読んで、私も今ある幸せを喜び、味わうことができるようになったと思う。現状に不満でいるよりも、「今」を有難く受け止め、「今」に生きることができるようになった。

本書冒頭の浅羽通明氏の解説も素晴らしい。本書全体を適切にまとめているばかりか、作者に対する敬意と愛情が感ぜられる。また浅羽氏は控えめに、以下のような疑問を投げかけている。「須原一秀氏の『自死』論を読んで私が感じたのは、『自死』する者、例えば須原氏を取り巻く他者からの視点が、欠けてはいないかという想いでした」(25頁)。厳密には、著者は他者からの視点を全く欠いていたわけではない(193頁以下、263頁など)。だが全体として、浅羽氏のおっしゃることに同感である。詳しくは25-28頁を参照されたい。

浅羽氏の疑問に加えて、私としては人の命を絶つことの是非を問いたい。自分の命については、他者の命と違って、人の命を絶つことの倫理は不問になるだろうか。命は「神」、あるいは「大いなる自然」から受けたものではないだろうか。筆者によれば、それらは観念論的思考の密輸入と言われそうだが、事実私たちの命は、私たちの知らないところから―人がそれを「神」と呼ぶのであれ、「大いなる自然」と呼ぶのであれ―来ている。その命を断つというのは、著者のような潔い、明るい積極的な自死であっても、私は思い留まらせたい。著者は本書の資料を調べているときに「ちょっと不愉快な感情が起こること」(273頁)を覚えたという。著者はそれを「根深い『受動的自然死派』系統の伝統的思い込みにとらわれている」と判断することだろう(196頁)。私は敢えて言う。著者はそれこそこの点において観念論的だったと思う。その「ちょっと不愉快な感情」は、「自死をすべきではない」という体の声ではなかったか。著者の面目躍如たる体感的思考を追求するなら、どんな形にせよ、自死をすべきではない、と結論したのではないだろうか。

本書が私に大きな衝撃をもたらしたのは事実である。ここに書ききれない、本書でなければ得られない多くのものを得た。それでもなお、著者の自死に、大きな悲しみを覚える。会ったこともない著者に、生きていてほしかった、と思う。それが私の体感的思考である。
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By row
形式:新書
今の、日本はとにかく長く生きる事を善としているが、本当にそうだろうか?老いれば、できない事も増えてくる。そんな身体で生きてもつらいだろう。
また、人生は自分で切り開けと言われている。ならば、逆に人生の終わりを自分で決めても良い。
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21 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
非哲学 2010/9/30
形式:新書
 死者に鞭打つようで申し訳ないが、書かせていただきたい。
 哲学、あるいは生きること、死ぬことについての考え方は、人間を取り巻く状態により変わって行く相対的なものである。道徳や、善悪の判断についても同様である。いってみれば、そのときの人間に都合のよいように作られるものである。しかし、人間の細部、例えば、感情や、好き嫌いという感覚、潔癖性、高みへの憧れなどは、思想に先立つものであり、論理によって動かすことは出来ない。 
 巨人・ニーチェが、哲学の、より深叢に分け入ったようにも見えた。ニーチェ亡きあと、物理学により宇宙の永遠性が否定され、人間も時間が限定された存在であることが判明した。哲学の根底を覆すこの事実が知られた後も、その問題を超克しようとする哲学は現れていない。
 生死の問題の答えに絶対的なものが無い以上、作者の行動と著作を、簡単に否定することは出来ない。 しかし、例えば、著者の言葉ではない、次のような考えがある。現代は生きるに値しない「ろくでもない」世界である。どうせ、人類も消滅する。それなりに楽しんだのだし、適当なところで死んだっていいじゃないか。 著者は、ニヒリズムによる自殺ではなく、平常心の自殺であると言うが、通読すると、根底に強いニヒリズムを感じるのである。 そして、死にあたって、独自性を主張し、あたかも、ごく平凡な「自分さがし」をしているようにも見える。 また、この著作に「新葉隠」と名付け、最後に「私の真摯さを読み取ってくださいますよう」と述べるなど、強いナルシシズムを感じさせる。本人は病気ではないというが、それ自体が病気であろう。この「平常心の自殺」を理解せず非難する者は凡人であり、「お行儀が悪い」と、前もっての攻撃にまで出ているのである。他人の土地を血で染め、さらに死体をさらすのは、お行儀がよいのだろうか。(私は自殺自体を否定はしない。ただ、最も悪いのは、ホテルで死ぬなど、「お行儀の悪い」自殺である。) 死にゆく目的も、これから訪れる可能性のある老いの苦しみから逃れるためであり、誰かを救うためではない。周囲の者への配慮の言葉は無く、これから死ぬ予定の自分に酔う表現さえもある。ミーイズムという病気である。戦死の方が、また、苦悩の末の自殺の方が美しく感じてしまうのである。 文章からは、考えの浅薄さ(他者の死のありかたとそれについての「有識者」の考えを、コピペのごとく持って来て、自らに都合のよいように解釈している。「伊丹氏のように名声と成功をかち得ていた人が、他愛の無い理由で自殺するはずがない」とも書いている。著者が「凡人ではない」にもかかわらず、世間的な評価は重視しているようである。この、懐疑の無いシンプルさは、哲学とは最も遠いものである)と、言葉の軽さ(「考えてみると、そういうこともあるのかなあー」など。60を過ぎてはじめて気付くことだろうか、と思うことが多々あり)が感じられて、しだいに嫌悪さえ覚えるのである。
 この浅薄さと軽さは、中高年向けの雑誌「サ○イ」に似ている。「自分史を書こう」(ミーイズム)「年齢に優しい靴選び」(安楽)「仏像の見方」(安直)「坂本龍馬を旅する」(流行)。
 死ぬのなら、思い上がった御託を並べず、静かにお願いしたい。例えば、「自然死」であれば、俳優のAtsumi氏のように。
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