本書の中で論理に最も力があるは「自然死は本当に楽か?」と問う部分だろう(第5章)。人は「安らかな」「眠るがごとき」などというが、理想的「老衰」とは1つの神話であり、実際は確実で悲惨な苦しみを味わうのが普通、その酷さはときに事故死や拷問による死さえ凌ぐ。ならば、なぜ、それをただ待つことしかできないのか?
哲学的事業として自死(逃避的ニュアンスがある「自殺」という言葉を避けている)を企図した著者にとって、自らの死が「うつ」や「病苦」によるものではなく、完全に晴朗な精神のもと為されることを読者に納得させることが重要になる。読者としてはそれが「強がり」でないか警戒して読むことになる――不幸な老人は惨めさを隠すためにしばしば幸福そうな仮面をかぶるものだからだ。
しかし、その筆致からは確かに快活な精神と闊達な知性が読み取れ、著者の言に嘘はないと感じる。読んで愉快になる部分も随所にあるほどだ。「『老人道とは死ぬことと見つけたり』で『死にたがり老人』になって・・・自尊心と威厳を維持し続けてはどうであろうか」(p162)といった部分。また、偉人賢人の「悲観的人生観」を痛罵するところなど。「日頃『人生は無』だとか『人生は虚無』だとか言ったり、文章にしているほとんどの人々が自然死に至るまで営々と生きつづけるのはどうしてであろうか」(p231)。
人生の「よい部分」と「悪い部分」を充分に味わったうえで、「よい部分」を肯定せんがためにバッドエンドを積極的に回避する姿勢を提案する本書は、いずれにせよ老年になるまで生きた人のためのものであり、若者の安易な自殺を肯定するものではない。私は、老人になる少し手前であるが、同意はしないまでも、理解できた。人生経験を積んだ健康な常識人にこそ読んでほしい。そして、著者の言うように「その時まで本箱の隅にでも置いて」おくとよいだろう――家族を不安にさせるだろうが(笑)。