自己への硬直こそが暴力の源泉である。硬直させる暴力、硬直した「私」による他者への暴力。
これが本書の力強く一貫したテーマです。「主体」が解体され、分裂した生を生きる(生きざるを得ない)現代の私たちには「責任」や「倫理」はないのかという問題意識を、「主体」復活ではなく、ばらばらだからこそ、すべてを統括する「私」などないからこそ、そこに「倫理」と「責任」が生まれるのだと論じています。自己にも他者にも自己同一性と「責任」を求める「倫理的暴力」(毎日の事件事故報道をごらんください)を一刀両断するすばらしい主体化論です。
丁寧な論旨にもかかわらず、いたずらに難解ではない、スムーズな展開です。解説の佐藤さんもわかりやすい。呼びかけによる主体化というアルチュセール、フーコー(初期)に依拠しつつ、ラプランシュ(精神分析)とレヴィナス(他者論)を節合し、晩年のフーコーを読み解く手法に感動です。要するに、わたしたちは呼びかけのすべてを内面化するわけではないし、内面化したものすべてを統合する「私」があるわけでもない。その二重のずれ=「私には説明しつくせない、どこからか来た/やって来る、私ならざる私」を受け止めることが「倫理」「責任」であり、それによって「私」は常に変容し、呼びかける権力との批判的距離をつくりだす。。。
最後に。本書によって欧米でのラプランシュの重要性に新たな照明があたり、いまだ一冊しか翻訳されていない状況(しかも共著)が改善されることを切に望みます。